<社説>嘉手納爆音二審判決 基地被害に背を向けるな


社会
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 米軍基地と隣り合わせの生活を余儀なくされている住民の被害に真正面から向き合った判決とは言い難い。

 米空軍嘉手納基地周辺に暮らす約2万2千人が、米軍機の夜間・早朝の飛行差し止めなどを求めた第3次嘉手納爆音差し止め訴訟の控訴審判決で、福岡高裁那覇支部が飛行差し止め請求を棄却したのである。
 国に対し総額261億2577万円の賠償の支払いを命じたが、一審判決から約3割減額した。一審が認めた部分的な健康被害についても認定しなかった。読谷村座喜味以北の原告への賠償は、これを認めた一審判決を支持した。
 飛行差し止めを棄却したのは「飛行場の管理・運営権は米国に委ねられており、被告(国)は米軍機の運航を規制できる立場にない」「請求は、被告に対してその支配内にない第三者の行為の差し止めを求めるもので、理由がない」とする「第三者行為論」を一審に引き続き採用したためだ。
 県民の立場からすれば、主権の放棄にほかならず、米軍基地の傍若無人な運用を助長する理屈にしか映らない。これでは、基地周辺に住む住民は基地がある限り未来永劫、被害を受け続けることになる。そのような理不尽を甘受せよというのか。
 一審判決は、騒音が高血圧症発生のリスクを増大させると認めたが、控訴審判決が認定したのは「高血圧症状の発生に対する不安感等の精神的苦痛」にとどまる。被害の矮小(わいしょう)化であり、到底、容認できるものではない。
 わが国の統治機構は三権分立を建前とする。国家権力を立法、行政、司法に分け、それぞれを担う機関を分離独立させることで、権力の乱用を防ぎ、国民の権利、自由を守る狙いがある。
 米軍基地の過度な集中によって住民の基本的人権が侵害されている現実は、政府による不適切な意思決定の結果である。それを是正の方向に向かわせることができるのは司法以外にない。
 その点で、今回の控訴審判決には失望を禁じ得ない。国策に追従し、米軍基地の野放図な使用に改めてお墨付きを与えたようなものだからだ。
 判決は、嘉手納基地での米軍の活動について「日本国民全体の利益に寄与する」と認めた上で、国民全体が利益を受ける一方、原告を含む一部少数者に特別の犠牲が強いられていると指摘した。「このような不公平は米軍の活動の公共性、公益上の必要性をもっても正当化することはできない」と断じている。
 正当化しようがない不公平が存在するのなら、なぜ、司法の責任放棄にも等しい「第三者行為論」に固執するのか。夜間・早朝の飛行差し止めを米軍に求めるよう、国に命じるべきだろう。
 受忍すべき限度を超えた騒音は改善されないままだ。これ以上、違法な被害を放置することは許されない。