西銘氏「辺野古」容認 閉鎖・撤去で一致結束を


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 自民党の西銘恒三郎衆院議員が米軍普天間飛行場の名護市辺野古移設問題について、「県外移設を求める」とした昨年の衆院選公約を翻し辺野古移設の容認に転じた。

 自民党が民主党政権の公約違反を糾弾して、国民の支持を集めたのを忘れたのか。西銘氏の辺野古容認も公約違反の批判を免れない。
 今回の公約違反は、一政治家の進退でとどまる話ではない。沖縄社会の命運や住民の生命、人権に長期影響を及ぼす重大案件だからだ。
 西銘氏は、辺野古容認の理由を「安倍晋三首相が国会で日米合意推進と同時に普天間は固定化しないと答弁した。沖縄だけ県外を求めるのは厳しい」と説明し、「危険性の除去を原点とすれば、辺野古移設は万やむなし」と述べた。
 この説明は、県民の意思より首相の意思を尊重すると言っているに等しい。県選出議員が民意に背き活動するなら、県民は誰に政策の実現を託せばいいのだろう。
 市街地の真ん中にある普天間飛行場の危険性除去を求める点は、民意も西銘氏の思いも同じだ。今回それが同床異夢であることが分かったが、西銘氏は諦めずに県民の最大公約数の声に耳を傾け、県民と共に歩んでもらいたい。
 最大公約数の民意は、仲井真弘多知事が求める普天間飛行場の「県外移設」や、県議会や県内41市町村の首長、議長ら県民代表が昨年末に安倍晋三首相に提出した「建白書」に明記された普天間の閉鎖・撤去と見るのが自然だ。
 西銘氏は「当選後、岩国や佐賀、佐世保などを視察、首長と面談して県外移設の可能性を見てきた」というが、説明が不十分だ。
 党本部や国会で在日米軍基地への移設や自衛隊基地との共同使用を強く訴えたのか。普天間の国外移設や閉鎖・撤去を米政府や米議会に具体的に働き掛けたのか。
 先に公表された在沖米軍基地の新返還・統合計画は返還期限が曖昧で、沖縄の施政権返還の必要性を説きながら時期、方法を曖昧にした1960年代初頭の米国の沖縄政策を彷彿(ほうふつ)とさせる。これ以上「基地温存策」が続くことは耐え難い。
 日米が沖縄に強いる「基地過重負担」という岩盤を崩すためにも、沖縄内部で割れてはならない。県選出国会議員は一枚岩となる時だ。先人が施政権返還で団結したように。それは持続的かつ有効的な日米関係にもプラスとなろう。