<南風>海外に残る琉球工芸品


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 19世紀にイギリス人冒険家クラッターバックが沖縄から持ち帰った「世界の他の地域では見られない興味深いさまざまなコレクション」とは何だったのか。彼らは頑丈な外箱を用意し、内側にはオガクズを詰めて丁寧に梱包した。それは何と「ジーシガーミ(厨子甕)」なのである。紀行文には「それは非常にきれいに設計され、明るい青と白の2色で色付けされた厨子甕だった」とある。また「墓で供養のために保持されている」という記録もあるため、その利用法は理解していた。写真も残っていて、持ち帰った厨子甕は壺屋で製作した御殿型の装飾豊かなものであった。

 地元の人間には「どうしてこんなものを?」と思うのだが、美しいデザインだけではなく、ウチナーンチュの信仰心や亡き人に想いを寄せる人々の暮らしなどにも感銘を受けたようだ。滞在中に葬儀に参列したことや「白く輝く巨大なお墓」のことも記録している。その他には「Luchuan guiter」こと三線、紅型、酒器のカラカラ、錫(すず)製の瓶子(へいじ)などであった。

 またイギリス人のギルマールは「蛇の皮の三線、かんざし、漆塗りの皿などに加え、大きな美しい虹色をした貝」などを収集した。そして沖縄を訪れた欧米人のなかで最も有名な一人にアメリカ艦隊のペリー提督がいる。1853年から約1年間で5回も那覇港を訪れた。記録には「銀板写真」を撮影したとあるが、残念ながら保管していた写真館が火事にあい消失してしまった。残っていたら琉球王国を撮影した最古の写真だったはずである。

 彼らも沖縄コレクションを持ち帰っており、現在はワシントンDCの博物館に収蔵されている。資料数は約170点。紅型やかすりの着物、漆器、玩具、大工道具などの工芸品や生活用品である。さて次はこれらの魅力に迫ります。
(外間一先、県立博物館・美術館主任学芸員)