<南風>カーテンコール


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 劇団青芸に所属していた頃、芸術鑑賞教室という学校公演で全国巡演していた。見る側の生徒たちは強制的に見せられている。だから、面白くなければその反応は顕著に現れる。

 しかし、私が帰沖のため、劇団を去ることを決めた頃、ある貴重な経験をした。「ウィンズ・オブ・ゴッド」で訪れた九州の高校。いつも通り、終演後、カーテンコールという、出演者があいさつする時だった。800人もいるのに拍手が少ない。失敗だったかと思った。しかし、パラパラと始まった拍手は、次第に大きくなり、生徒たちが立ち始め、生徒全員によるスタンディングオベーションとなった。まさに生徒たちの心を動かしたのだ。私は、数多く学校公演をしてきたが、初めての経験だった。と、同時にあることを思い出した。

 1991年、ソ連のロストフという街で初めての海外公演をした時のこと、連邦崩壊という大変な時、街ではパンを買う子どもたちが長い列を作っていた。着ているものは灰色の地味な色ばかりが目立った。このような時に、観客は来てくれるのか不安であったが、幕が開くと客席はたくさんのお客さんで埋まっていた。終演後のカーテンコールでは、客席から何人もの子どもたちが、ドレスやスーツを着て、花束を持ってきてくれた。それは、道か庭で咲いている花を摘んで、リボンをかけてくれたもの。パンを買うためにあんなに苦労している子どもたちが、異国から来た役者のために、飛び切りの衣装を着て、花束を作り、劇場に来てくれたのだ。

 終演後のカーテンコールは、演者と観客のつながりが具体的に見える瞬間でもある。

 このご時勢、劇場に人が集まることができないが、またカーテンコールを受けられる日が早く来ることを願う。

(当山彰一、俳優)