<南風>観測船に乗っていたころ


社会
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 4年前の春に沖縄に異動して来るまで、私は気象庁所属の海洋気象観測船「凌風丸」または「啓風丸」に乗ってさまざまな観測をしていた。船は北西太平洋を広く航行し、基本はあらかじめ設定された観測定線に沿って観測する。

 最も東の観測定線は東経165度だ。夏には北緯50度から南緯8度まで観測する。これはカムチャツカ半島の南東約600キロの冷たい海からソロモン諸島近海の熱帯に及ぶ。長い航海は2カ月を超え、約20日ごとに補給と休息のためにどこかに寄港する。東シナ海でも観測は行われ那覇への寄港も多い。転勤して来た時は「遠くの知らない土地」に来た感覚が全くなかった。

 太平洋を航行していると海と空、雲と星ぐらいしか見えない日々が続く。一見何もいないように見える海だが、よく見るとたくさんの海鳥が飛んでいて、時に大群を見ることもある。元々野鳥観察を趣味にしている私にとって、海洋上は格別の観察フィールドでもあり、今まで観測船でしか見ていない鳥も多い。運次第でクジラやイルカに出会うこともある。

 しかし、陸が全く見えない太平洋の真ん中でも、実は漂流するゴミを見ない日はない。発泡スチロールやペットボトルが多く、また表面海水にはマイクロプラスチックと化した微小なゴミも数多く含まれている。

 私は船上で二酸化炭素に関する観測・分析を主に担当していた。初めて海洋観測に就いた2000年代初め、日本南方海域の大気中の二酸化炭素濃度は380ppm程度だった。しかし2014年冬季、東経137度(本州南方北緯3度まで)で平均値が400ppmを超えた。

 海水温の上昇や海洋酸性化も含めて、人類が地球に及ぼす影響を直接見てきた観測船での経験は、現在の私の業務を支える糧となっている。
(河原恭一、地球温暖化情報官 沖縄気象台)