<南風>事実と意見の違い


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 筆者は2012年から7年ほど香港に住んでいた。現在も香港の弁護士(ソリシター)として香港の法律事務所に所属している。香港では19年に逃亡犯条例改正に反対するデモが暴徒化し、その結果、デモ行為などを規制する国安法が制定された。その後、「香港の変質」を嫌って海外に移住する人が増えた、といった悲観的な報道が目立つ。

 沖縄や日本国内で「自分は香港でも仕事している」と言うと「香港はいろいろ大変でしょう」と質問されることが多いが多少違和感がある。筆者は19年のデモ当時も平均月2回ほど香港に出張したが、特に不便を感じることはなかった。観光客が減ってホテルや飛行機が安くなって良かった、程度の感覚であった。極端に仕事が減るなど目立って経済的な打撃を受けることも結果的にはなかった。

 政治と経済が何でもすぐに直結すると考えるのは早計である。「人は自分が見たい世界のみを見る」と言われる。香港に関してネガティブな意見を聞きたいがために筆者に上記のような質問をしたのかもしれない。

 筆者もしょせん一個人に過ぎず、その感覚などあてにならないが、体験と報道の間には大きな差がある。ネットやテレビを通じた報道と、海外現場は大きく異なることがある。報道の受け手自身が「事実は事実」「意見は意見」として分別して読み取ることが大事だ。何が正しいか、間違っているかは意見であり、人それぞれ違っていて当然だ。

 話は変わるが筆者は毎年花見頃の新聞記事を楽しみにしている。北部のヒカンザクラやオクラレルカの見頃の記事が出ると、週末に家族で弁当を持ってドライブに出掛けるのだ。花や自然は分かりやすい。咲いた花がきれいで心が和むのは誰にとっても事実である。世界情勢も大事だが、地元の事実をしっかり伝えるのも地方紙の良さだと思う。
(絹川恭久、弁護士・香港ソリシター)