<南風>二元論思考の放棄


社会
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 6月12日から出張のため香港入りしている。この寄稿はコロナ対策のための外来者一時隔離ホテルで書いている。時間はたくさんある。「出張で香港に行く」と言うと「香港は大変ですね、今後どうなるでしょうか」といった話題になる。

 正直な話、いくら香港で仕事をしていても香港の将来の社会・経済など皆目見当がつかない。そもそも筆者のつたない分析力で一国の社会情勢を正確に捉えるなど不可能だ。

 ところで世の中の判断の仕組みはなぜか二元論に還元されることが多い。試験は「合格か不合格か」。裁判は「勝訴か敗訴か」。企業は「黒字か赤字か」。選挙は「保守か革新か」。戦争は「侵略か防衛か」。イデオロギーは「親中か親米か」といったようにである。しかしこういう二元論は「閉ざされた状況」の中でのみ成立する議論である。二元論では、現実の自然・社会状況を正確に理解することはできないと思う。

 個々の人や企業、国にはそれぞれ過去の来歴があり、多様な利害関係がある。それらを無視しては物事の是非は決められない。何が「正しい」と思うかは、来歴や利害を踏まえた人それぞれの価値観の問題である。違う状況にある他人にとっては同じことが「正しくない」のである。状況が違う他人にいくら意見を押し付けても、意見の衝突になり何ら問題解決にはならない。

 何が正解か分からない将来の問題については意見のぶつけ合いよりも、互いに「自分が何を求めるか」を意思疎通するのが有益だと思う。それぞれが求めることをすり合わせ、共通利害を見いだす努力をするのだ。

 香港がどうなるのかは分からない。しかし香港にいる人や企業が何をしたいか知ろうとすることはできる。そこから日本と香港双方にとって望ましい未来を描けるのではないか。

(絹川恭久、琉球法律事務所・弁護士)