<南風>久高島で感じたこと


社会
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 最近、久高島に行ってきた。そこで一番感じたのは、現代に生きる私たちが忘れかけているものがしっかり残されていることだ。地元の土地を大事に守っていることや、おじいおばあがイキイキと暮らし、いろいろな世代で仲良く生きていること。何か新しい建物に行くわけでもなく、ニコニコした90代のおじいと会話することによって私の心は自然と癒やされた。

 久高島の人たちに歌を歌ってもらった。自然に涙があふれた。それがなぜかは説明できないが、言葉の意味で泣いたわけでもないのだ。「魂のふるさと」と呼ばれているのも納得だ。本当にすてきな場所だ。

 おじいおばあは稼ぐことが生きがいで介護はギリギリまで受けないとの話もあった。いくつになっても社会とのつながりが生きがいになっていると感じた。

 全てを言語化するのが難しいのだが、自分の心身は久高島で癒やされた。土地の持つ力と、そこに生きる皆さんが温かく、ありのまま生きている。人は大人になったら世間や常識やいろいろなものに縛られて無理して飾りをつけてしまう。

 でもそれは本当の自分ではないので窮屈になっていく。就職活動で企業が同じような人間像を募集し、その枠にはまるように就活生が自分を作ってしまうことが分かりやすい例だ。もちろん私はうそがつけないのでうまくはいかなかった。

 私は合唱コンクールの時のみんなの声がハーモニーとなっていくことがすごく好きだった。人も同じだと思う。多様な人たちがそれぞれの楽器や歌を奏でていく。一人一人が、自然にありのままに生きていくこと。そうしたら世界が大きなハーモニーを奏でられることになる。それってとても自由で幸せだ。だからまずは私から、ありのまま自然体でこれからも生きていこうと思う。皆さんもぜひ奏でていきましょう。

(神谷美由希、ゼロエミッションラボ沖縄 共同代表)