<南風>LGBTQ+が困る三つのこと


社会
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 無意識に生活している日常の当たり前が、LGBTQ+にとっては、そうではないことがたくさんある。

 一つ目は表現の性だ。私は女性として生まれてきたのにもかかわらず、女性らしい格好をするのに抵抗があった。むしろ今は嫌なのだ。中性的な格好をするのがしっくりきている。10代の頃は、女らしい格好をしたいと思ったことがあったが男っぽい印象のある私が女性らしさがある服を着ることで、何か言われるのが嫌で着たくても着られないことがあった。

 二つ目は、本当の自分をカミングアウトするまで、パートナーがいても言えなかったことだ。それが発端でお見合いや恋人の紹介などをしてくれる人もいた。逃げ道に困ることがあった。小さなうそをつき続けた罪悪感と、本当の自分を言えないもどかしさが何とも言えない。今でも隠して話すこともある。何より嫌なのは、自分の存在をパートナーに隠されることだ。一番近くでそばにいる私を認めてもらえない、そんな気がしてむなしくなる。

 三つ目は、好きになる対象が異性という前提で話をされることだ。異性が好きという前提で話をされると、同性も好きになることは打ち明けづらい。男性の場合だと、長年彼女がいなかったり、結婚していなかったりするとゲイとからかわれる人がいる。同性を好きになることは今では珍しくない。むしろ異性だけを好きになる人が私にとっては不思議に思うくらいだ。

 挙げればキリがないが、もしかしたらあなたの身近にいる方も、同性を好きだったり、服装や髪型が生まれた性と違う人がいたりするかもしれないということを知り、誰かと話す時は不快にならないように話し方に気を付けると誰もが接しやすく、居心地のいい場になるだろう。皆がそれをしたらもっとすてきな世の中になるに間違いない。
(比嘉利加、フリーランス)