<南風>よそ者の娘


社会
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 石垣島で生まれ育った私からすれば、発(た)つ場所も帰る場所もここでしかない。しかし、両親が移住者という理由から、10代の私は常に「自分はよそ者だ」という感覚で生きてきた。

 それは周りの「移住されたご家族の娘さんね」という反応から感じ取ったのもあるが、いつも周りの人たちに、この場所に「住まわせてもらっている」という言葉遣いをする母の言葉が何より強くそれを感じさせた。自分たちの意思で、もう何十年も住んでいるのに、なぜそのような表現をするのか、なぜ常に「お邪魔します」の姿勢なのか不思議でならなかった。

 高校卒業後、島を離れ進学・就職を経て26歳で帰郷を決意した。両親はなおもその姿勢は変わっておらず、何だか寂しく感じる時もあった。そんな中、地域のおばあが私に言ってくれた言葉が何十年も胸の中にあった、家族と自分と地域との絡み合いをすっとひもといてくれた。「あんたのお父さんもお母さんも、とっても地域を大切にしてくれていて、もうこの地域の血が流れているからね。あんたはこの地域の人間よ」

 うれしさと感動と驚きとで、きっと私はうまく笑えていなかっただろう。両親が貫く尊敬と優しさの詰まった「お邪魔します」の姿勢が、娘である私に唯一無二の故郷を与えてくれた。

 先日、32回目の誕生日を迎えた。公民館での集まりでは、もう32かと笑われた。仕事は何をしているのか、子どもはまだか、旦那を早く見せろとしつこく言われる。この近すぎるコミュニケーションがいわゆる地域の面倒くささなのだろうが、そのやりとり全てが私にとっては「お帰り」と言われているような気がして、心地がよい。私はこれからも、暑苦しいほどに思いがあふれるこの島に対し「ただいま」の姿勢で向き合いたい。両親と兄弟と地域の方々へ感謝を添えて。

(岩倉千花、empty共同代表)