<南風>栄養士になる決意


社会
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宮國 由紀江

 沖縄で琉球薬膳を普及するため、14年前から資格の取れる薬膳教室を開催している。薬膳に出合う前は病院栄養士を勤めてきた。中学2年の時に栄養士になりたいと目標が決まり、一生懸命勉強に頑張れたことを今でも思い出す。

 両親は毎日忙しく、ゆっくり会話する時間もなく、幼少期は寂しいと思うことが多かった。しかし忙しくても母は夕飯の時間になると夕食を作るため家に帰り、おいしい料理を作ってくれた。私は寂しさを紛らわすために思春期の頃、夜遊びや親を困らせる時期があった。でも母の作る料理を食べると心がホッとする感覚を覚え、食べることはすごい、料理は人の心に良い影響をもたらすことを子どもながら感じた。

 中学2年の終わり頃、将来食に関わる仕事に就き、寂しいと思っている人のためにおいしい料理を作ってあげたいと思った。そのためにどのようなことを学べば良いかを探したら「栄養士」という職種が見つかり、県外の大学に通い、卒業後病院栄養士になった。

 決意から39年もたったが思いは変わらない。病院栄養士となり、たくさんのことを患者さまや職場の仲間から学んだ。病院栄養士は10年余り勤め、その時に食物で人の心を癒やし元気にできる、おいしい物を食べると病気の回復も早くなる、ということを目の当たりにし、中学の時に栄養士になりたいと決意して良かったとしみじみ感じる。

 患者さまと接する中、沖縄の食文化は独特で栄養士の教科書にはないことがたくさん出てきて不思議に思うことが多々あった。病院退職後、薬膳を学び、その内容が患者さまが話していたことと似ていることに衝撃を受けた。それから琉球の食医学書「御膳本草」に出合い、今、御膳本草の研究をしている。次回はなぜ御膳本草に出合ったのかについてお話したい。
(宮國由紀江、国際中医師)