<南風>一人を楽しむ


社会
<南風>一人を楽しむ 小橋川響、ラジオ沖縄アナウンサー
この記事を書いた人 Avatar photo 外部執筆者

 一人が好きだ。今もプライベートな時間は一人で行動することが多いが、大学時代も入学から1年間、一人だった。見かねた同期が声をかけてくれて、ようやく初めての友人ができた。

 大勢が苦手というわけではない。ただ、一人でいることに特段寂しさを感じない性分のようだ。20代の頃はキャンプ用具を車に積んで、誰もいない海岸で一人キャンプなどをしていた。満天の星の下、波の音を聞きながら、ゆらめく炎を眺めるのは非常にぜいたくで豊かな時間だった。

 ところが当時そういう話をすると、寂しくないのかと聞かれることが多くて困惑した。一人で行動することに対し孤独な人のような印象を持たれたようだ。それから十数年後にソロキャンプがはやった時は、私は時代を先取りしていたと言って苦笑いした。

 茨木のり子の「一人は賑やか」という詩がある。「一人でいるのは 賑やかだ/賑やかな賑やかな森だよ/夢がぱちぱちはぜてくる/よからぬ思いも わいてくる」。夫と死別した後に書かれたこの詩は、一人の寂しさなどみじんも感じさせない。

 詩はさらにこうつづる「誓って負け惜しみなんかじゃない/一人でいるとき淋しいやつが/二人寄ったら なお淋しい」。私が一人を寂しいと感じないのは、家族や友人とのつながりを感じているからだろう。他者とのつながりがあると思えば、今一人でいようが孤独ではないのだと思う。詩は最後にこう締めくくる。「恋人よ/まだどこにいるのかもわからない/君/一人でいるとき/一番賑やかなやつで/あってくれ」。

 一人=孤独ではないというイメージは世間でも認知されてきた。私にとって生きやすい世の中になったと感慨深い今日この頃である。ただし、それゆえ一人上手になってしまっているのが新たな問題ではあるが。

(小橋川響、ラジオ沖縄アナウンサー)