<南風>7シャーデンフロイデ


社会
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白木 敦士(琉球大大学院准教授)

 「シャーデンフロイデ」。他人の不幸を聞いた時に感じる喜びを指すドイツ語だ。日本語では「人の不幸は蜜の味」か。不幸を受ける者が成功者であるほど「蜜」の甘みは増す。タレントの不倫記事を目にした時のあの感覚である。

 過度な誹謗(ひぼう)中傷が、タレントをして、最悪の選択を招くケースが後を絶たない。インターネットの双方向性は、タレント自身が、自らに向く言葉の刃と向き合う機会を作り出した。匿名性の盾に隠れて矢を射る者は、ひきょうな殺人者たり得るが、非難されるべきは、射手だけではない。

 「矢」を提供してきたのは写真週刊誌によるスキャンダル記事に他ならない。誌上には「著名人にプライバシーはない」とでも言わんばかりの写真が並ぶ。タレント業の華々しいイメージとは裏腹に、タレント本人とその家族は、公衆に紛れたカメラにおびえて生活を送る現実がある。

 大手メディアが取り上げない問題に週刊誌が焦点を当て、社会正義の実現に貢献した事例も多い。ジャニー喜多川氏による性加害事件報道もその一つだ。しかし、これを錦の御旗として、独自の「ジャーナリズム」が内包する問題が覆い隠されないか心配だ。歌手や俳優を夢見る若者に、夢の実現と引き換えに生涯にわたってプライバシーを放棄させることが許されるのか、改めて検証されるべきだ。芸能界だから許される―。そんな曖昧な道徳観こそが、喜多川氏事件の根源にあったのではないか。

 近年の研究は「シャーデンフロイデ」を、脳内物質の作用による生理現象と位置付ける。週刊誌は、それを見越して我々の眼前に甘い「蜜」をたらす。不倫記事の誘惑に負ける我々自身も、心理衝動を抑えられないという点では、「気持ちを抑えられなかった」と弁解する不倫タレントと変わりがないのかもしれない。

(白木敦士、琉球大大学院准教授)