<南風>えらい人


社会
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白木 敦士(琉球大大学院准教授)

 4月初めの肌寒い夜のこと。深夜のコンビニで、赤ら顔の男性が楽しそうに店員に話しかけている。年齢は40歳前後か。黒と金のジャージ姿が印象的だ。喜ばしそうに話し込んでいる。長い会計を待った後、私も会計を終えて店を出た。信号を待つ彼は、まだうれしそうだった。「燃えるゴミの袋は、こちらでよかったんですかね」。先ほど店員にした質問と同じである。

 困った私は自身も県外から転居したての「新参者」であることを説明し、お引き取り願おうと考えた。すると男性はさらに喜び、私の来歴に関心を持った。ゴミ袋はもはやどうでもいいようだ。職業を聞かれ、素直に答えたところ、彼は急にかしこまった。

 琉球大学に入学する一人息子に付き添い、県外から家族で見送りに来たという。自身は勉強の機会に恵まれなかったが、息子が勉強に励み、晴れて琉大に入学したことがうれしくて仕方ないらしい。別れ際に「息子をどうかよろしくお願い致します」と深々とお辞儀をされた。私が新任教員として、大学の着任式に臨む前夜のことであった。

 作家の藤沢周平氏は「えらい人」とは、誰からも評価されることを期待せず、自分の仕事を誇るでもなく、黙々と自らの生を歩む人であるという(藤沢周平『周平独言』)。若くして授かった息子を育て上げ、誇らしく見送る彼の背中を見ると、私の大学進学を後押ししてくれた、母や祖父母を思い出した。遠ざかる彼の背にお辞儀を返した。

 大学進学は、本人の努力だけでは実現しない。学費の工面に加えて、親が、高等教育の価値を理解して初めて子にその門戸が開かれる。大学教員は、眼前の学生のみならず、その背後にいる「えらい人」の期待をも背負っていることを改めて思い起こす。眠い目を擦りながら、講義資料の作成に追われる師走である。

(白木敦士、琉球大大学院准教授)