<南風>梅狩りと琉球藍


この記事を書いた人 アバター画像 琉球新報社

 風薫る5月。名護市の大湿帯(オーシッタイ)と呼ばれる山奥の集落を訪ねた。戦後の過疎化で廃村の危機に瀕(ひん)したものの、他県から移住者を迎え入れて復興した際に植えた梅の木が、毎年この時期に実をつける。今年は不作で一般開放していないが、伝手(つて)を頼り、2時間、籠いっぱいの梅狩りを楽しんだ。

 集落の10世帯は、養蜂業や、無農薬のタンカンやマンゴー栽培が有名で、中でも異彩を放つのが、福岡出身の夫妻が営む琉球藍の工房だ。奄美大島以南に生息する藍を栽培し、年2回の収穫を経て、「泥藍(どろあい)」という絵の具のようなものを作る。これに近くの川から引いた水や泡盛、集落でとれる蜂蜜を混ぜ、微生物による発酵を促して染め液をつくる「藍建(あいだ)て」を行う。この液で布や糸を染め重ねてようやく藍染が完成する。

 多くの伝統工芸同様、琉球藍染も後継者不足に悩む。工房では藍の栽培から学びたいという意欲的な人を募集中だ。

 集落では助け合うことが当たり前。草刈りも、梅の肥料やりも共同作業だ。私たちの梅狩りでも、高いところの枝を引き寄せる道具を近所の方が貸してくださった。都会では希薄な助け合い精神がいまだ根付く。

 「山が泣いている」。陶芸家の友人は、昨年末一緒に出かけたやんばるの山並みを見てこう呟(つぶや)いた。東村高江の米軍ヘリパッド建設工事をめぐる一連の抗議運動や、同村と国頭村にまたがる米軍北部訓練場の日本側への返還など、人々が一喜一憂する中で、山々は黙って耐え忍いでいるのだと語り、手を合わせた。

 沖縄戦の戦火。戦後復興。そして今も米軍基地を巡るさまざまな問題に揺れる島。自然は人間の営みにどこまで寄り添ってくれるのだろうか。集落に藍が育ち、梅が実をつける。こうした原風景がいつまでも続いてくれることを切に願う。
(名取薫、沖縄科学技術大学院大学広報メディアセクションリーダー)