コラム「南風」 縛られる患者たち


この記事を書いた人 Avatar photo 琉球新報社

 「この気持ちは縛られた者にしか分からないさぁ」と80代のオバアは言いました。「昨日は一晩泣いていたんだよ」
 トイレに行こうとベッド柵を乗り越えたのが間違いでした。ナースコールのことをオバアはすっかり忘れていたのです。「周り全部に柵をするなんて迷惑なことだねぇ」と思いながらも、オバアはなんとかベッドを脱出。廊下を歩いているところを看護師に身柄確保されました。たった、その1回のミステイクで縛られてしまったのです。

 病院での思わぬ仕打ちはオバアにとって屈辱以外の何物でもありません。なんでこんな目にと騒いでいると、睡眠薬を飲まされました。朦朧(もうろう)とした意識のなかで、ただただ泣き続けた記憶だけが残されています。
 翌朝、私は同居している長男の嫁と話し合いました。最後に、嫁はこう言いました。「縛らないでください。もし転んだとしても、自宅と同じで自己責任です」
 私は縛らない約束をし、病棟の看護師たちも納得していました。しかし、夕方、長女から電話がかかってきました。「縛ってください。何かあったら大変です」
 そのことを私が告げると、オバアは諦めたようにこう言いました。「縛られている人間が一人だけだったら、皆がおかしいと思うでしょう。でも、みんな縛られていると、おかしいと思わなくなる。だから、私も慣れるしかないんだよ」
 いや、慣れないでください。あなたがおかしいんじゃなくて、病院というシステムがおかしいんです。
 複雑な、とても複雑な気持ちになりました。狂気は個人にとっては稀有(けう)なことです。しかし、集団にあっては通例となることがあるようです。最大の問題は、集団の狂気を個人の狂気に転嫁して、省みようとしないことかもしれません。
※個人情報保護の観点から背景等を改変しています。
(高山義浩(たかやまよしひろ)、県立中部病院感染症内科 地域ケア科医師)