太平洋戦争後、米国統治下の沖縄で米軍基地クラブのジャズシンガーとして活動し、今なお現役の斎藤悌子さん(88)=石垣市=は、海を越えて戦地に向かう米兵の若者の悲しげな姿が脳裏に焼き付いて離れない。「とにかく戦争をしてはいけない」。平和への願いを込め歌い続けてきた。沖縄の日本復帰から52年が過ぎたが、その思いは強まるばかりだ。
米施政権下の沖縄は1950~70年代、朝鮮戦争やベトナム戦争の出撃地となり、多くの米兵が戦地へと向かった。米軍基地内の下士官クラブで歌っていると、息子を戦地に見送る悲しみを表現したというアイルランドの名曲「ダニーボーイ」のリクエストが毎日のように入った。
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ある日、いつものようにリクエストを受けると、若者が歌に合わせて女性と踊りながら、目にいっぱいの涙を浮かべていた。「彼はもうすぐベトナムに行く」。近くにいた人が教えてくれた。
「出撃した若者のうち何人が戻ってきたのかは分からない。母親の気持ちになるとたまらない」。ダニーボーイを歌うたびに、あの涙を思い出す。
斎藤さんは、35年に沖縄県・宮古島で生まれ、太平洋戦争時は母と兄の3人で台湾に疎開。ジャズシンガーになると「リクエストが来たら何でも歌えるように」と、中古レコードを買って繰り返し聴いては歌を覚えた。英語の発音は米軍広報紙「星条旗新聞」の米国人記者に教わった。
結婚を機に、バンドマンだった夫の故郷、千葉県に引っ越したが、夫の希望で91年ごろに石垣島に移住した。静かな島での暮らしに喜びを見いだしてきたが、昨年3月、島に陸上自衛隊の駐屯地が新設された。「なんでこんな小さな島に、軍事基地が必要なのか」と憤りを隠さない。
同5月、米軍普天間飛行場のゲート前で行われた抗議行動に参加し、現場で賛美歌を歌った。「戦争をなくすために歌で平和を届ける。私にはそれしかできないから」。斎藤さんはかみしめるように話した。
(共同通信)