かつて米軍基地内で歌った妹、フェンスの外から抗議続けた兄 2人が初めて共に歌う 沖縄・普天間基地ゲート前


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「普天間基地ゲート前でゴスペルを歌う会」に初めて参加したジャズシンガーの斎藤悌子さん(左)と兄の平良修さん=1日、宜野湾市野嵩

 宮古島出身でジャズシンガーの斎藤悌子(ていこ)さん(87)=石垣市=が1日、賛美歌で平和を訴える「普天間基地ゲート前でゴスペルを歌う会」の抗議行動に初めて参加した。一冊の歌集を間に隣に立ったのは、兄で牧師の平良修さん(91)=沖縄市。かつて米軍基地の内側で歌った妹が、米軍の支配や基地に反対しフェンスの外側に立ち続けた兄と、平和を祈る歌声を合わせた。

 斎藤さんは高校卒業後、約10年にわたって県内の基地内の舞台に立ち、戦地ベトナムへ送られる兵士を前に歌った。

 米施政権下の1966年、最高権力者である高等弁務官の就任式の壇上で平良さんは「これが最後となりますように」と祈った。その騒ぎは、バンドマンの夫と県外に移住してから知った。その後も兄の活動を耳にすることはあったが、互いに多忙な日々で同じ場所に立つ機会はなかった。

 墓参りの帰省と重なったこの日、斎藤さんは初めてゲート前を訪れ、この行動に毎回通う平良さん、義姉悦美さん(88)の隣に並んだ。ほかの参加者に望まれて独唱したのは、ライブで必ず歌うという「ダニーボーイ」。戦地から生きては帰らないかもしれない息子を待つ親心を歌った曲に、思いを込めた。

 参加者全員で数曲の賛美歌を歌い上げ、斎藤さんは「うまい下手ではなく、仲間と願いを一生懸命表現する素晴らしい時間だった。兄はこんなことをしていたのですね」とかみしめた。平良さんは「生活の中で違う場にいたが、胸の奥で共通する思いを歌ったと思う。何十年かけて実現したいい時間だった」と斎藤さんの肩を抱いた。
 (黒田華)