「新高等弁務官が最後の高等弁務官となり、沖縄が本来の正常な状態に回復されますように」
米国施政権下の1966年、アンガー第5代高等弁務官の就任式に牧師として出席した平良修(90)は壇上で、日英両語で祈った。沖縄を支配する最高権力者を前に、県民としての願いを率直に言葉に込めて米軍支配を拒絶した。この祈りは広く県民の共感を呼び、今に語り継がれている。
「祈りには後半があるのですよ、なかなか取り上げてもらえないのですが」と平良は続ける。祈りの場は就任式。最後であれと願っても新高等弁務官は就任し、任期中は沖縄を統治する。
キリスト教の教えでは天地全ての権威を持つイエス・キリストは、民衆の前にひざまずき、眼前にいる人の足を手に取って洗った。新高等弁務官もキリスト教の信徒ならばキリストにならって沖縄住民の尊厳の前にこうべを垂れて住民の足を洗いなさい、権威はそのような形で使いなさい。祈りの言葉はそう続けた。
斜め後ろに立っていた高等弁務官が、祈りの最後に賛意を示す「アーメン」を唱えたかは分からない。キリスト教信仰の中で精錬された沖縄への意識を噴出させ「反米軍統治に徹し、沖縄民衆と共にあることを祈る内容に迷いはなかった」と平良は後に記している。
(文中敬称略)
(黒田華)
72年に沖縄が日本に復帰して半世紀。世替わりを沖縄と共に生きた著名人に迫る企画の22回目は、戦後沖縄が育てた牧師として63年間、人間の尊厳を守る抵抗の現場に立ち続ける平良修さん。いつも穏やかに温かく、また厳しく社会に向き合ってきた半生を追う。