「私の生き方そのもの」宮古島出身86歳のジャズシンガーが初アルバム  米軍基地の中で磨いた歌声、伴侶の死乗り越え 斎藤悌子さん 石垣島在住


この記事を書いた人 アバター画像 山城 祐樹
「これからも歌い続けたい」と語るジャズシンガーの斎藤悌子さん=7月15日、石垣市

 石垣島で活動する86歳の現役ジャズシンガー、斎藤悌(てい)子さんの初となるアルバムがこのほど発売された。アルバムタイトルは「A Life with Jazz」。米軍統治下の沖縄で、文字通りジャズと共に生きてきた斎藤さんの半生を音源化した。「もうすぐ87歳になるおばあさんでも頑張れば歌える。これからも歌い続けていきたい」と、斎藤さんは夢を描く。

 宮古島出身の斎藤さんがジャズの道に進んだのは、70年近く前にさかのぼる。学生時代から音楽が好きだったという斎藤さんは、那覇高3年生のころ、教師から音楽の道に進むことを勧められた。米軍基地のジャズシンガーオーディションを受け合格。その後、約10年にわたり県内の米軍基地で歌い続けた。

 当時はベトナム戦争まっただ中の時代。戦地に赴くという若い兵士が泣きながら踊る前で歌ったこともあれば、サラ・ヴォーンなどトップレベルのシンガーやミュージシャンが慰問に訪れる中で、一流の音楽に触れる機会もあった。

 夫の勝さんのバンドで歌っていた斎藤さんは、30歳を前に勝さんの故郷である千葉に移り住んだ。千葉でも音楽を続け、1989年に勝さんが大好きだったという石垣島へ移住した。

 だが石垣島への移住から数年後、勝さんが病で急逝。長年、共に音楽の道を歩んできた伴侶の死にショックを受けた斎藤さんは、歌うことをやめた。

 音楽から離れる日々が続いたが、ある時、島内のカフェで、ウクレレの音色を聴いた。音楽を楽しむ人たちとの交流が始まり、次第に歌いたいという気持ちが湧き上がってきた。「やっぱり音楽は楽しい」。70歳前後に再び歌い出した。

 そんな斎藤さんにはこれまで、自身が歌うジャズの音源がなかった。

 「斎藤さんの歌を残したい」と石垣島のジャズバー「すけあくろ」のオーナー、今村光男さん(66)らがアルバム作成を企画した。世界的なピアニストのデヴィッド・マシューズさんを招き、すけあくろでアルバムをレコーディングした。

 「素晴らしい人に伴奏してもらいドキドキした。刺激的なメンバーで、最高のハーモニーになった」と斎藤さん。「ジャズは私の生き方そのもの。これからもずっと歌い続けたい」と夢を描いている。
 アルバムは税込み2500円で、すけあくろなどで購入可能。問い合わせは、すけあくろ(電話)0980(87)7696。
 (西銘研志郎)