焼失した首里城(那覇市)の屋根の赤い瓦と白いしっくいのコントラストは、沖縄の伝統的な景観を形作っていた。再建工事には、瓦ぶきやしっくい塗りの職人田端忠さん(60)も携わる予定だ。2019年の火災から10月31日で4年がたった。職人にとって首里城は「特別な存在」だという。高齢化で技法の継承が課題だとして、「技も沖縄の財産。100年先まで守りたい」と意気込む。
「首里城が燃えています」。19年10月31日未明、ラジオが伝えた速報は「ぼや程度だろう」と思っていた。早朝、テレビを見て絶句した。炎に包まれた正殿が焼け落ちていて「思うように言葉が出ないほどつらかった」。
那覇に生まれ、同じ職人の父の背中を見て育った。一度は他の仕事に就いたが、古民家で赤瓦のしっくいを塗り替える父の仕事を手伝い、「技術の結晶だ」と憧れを抱いた。38歳の時、父の元で見習いとなった。
首里城との関わりは10年にさかのぼる。正殿のしっくいを塗り替えた時、求められる技術に驚いた。高さ約18メートルの正殿の屋根には、約6万枚の赤瓦が使われた。その一枚一枚に鉛筆で印を描き、同じ厚みにそろえて塗る緻密な作業だ。
民家では瓦のしっくいを塗るのは2回だが、首里城は台風対策と色むらを防ぐために3回。「特殊なコテを使い、繊細な技に支えられて荘厳な雰囲気が維持できる」
今回は26年の復元を目指し、工事が進む。24年度中にも瓦ぶきが行われる予定だが、課題は職人の高齢化と後継者不足だ。田端さんが代表を務める「沖縄県琉球赤瓦漆喰施工協同組合」の職人は06年の設立当初24人いたが、現在16人。60代でも中堅で、焼失前と同じ水準で復元できるか懸念もある。
期待をかけるのは、若手職人が熟練者から学ぶ研修だ。「沖縄美ら島財団」(本部町)が始めた文化庁の補助事業で、田端さんも指導に加わる。23年度は20~40代の4人が受講し、中にはIT業界から転職した人もいた。「世襲や徒弟制度だけで継承しては間口が狭い。世界に誇れる琉球文化を次世代に残したい」と決意を新たにした。
(共同通信)