パリ五輪の重量挙げ男子73キロ級代表の宮本昌典=東京国際大職=は、この競技で日本男子40年ぶりの表彰台を狙う。大学時代から指導を仰ぐのが1964年東京、68年メキシコ両五輪金メダリストの三宅義信監督(84)。第一人者の系譜を受け継ぐ27歳のリフターは「僕も金メダルが欲しい。今までやってきた成果を表現したい」と師弟の悲願へ覚悟を示す。
沖縄県那覇市出身。競技を始めたのは小学6年の頃だった。後に進む沖縄工高で練習し、最初の約3カ月はバーベルの代わりに木の棒を担いでフォームを固めた。女子の三宅宏実さんら代表クラスの選手が同校で合宿を張ることもあり「始めた頃からトップ選手の練習を見て、その横でバーベルを触っていた。今考えれば幸せなこと」と振り返る。
全国高校総体制覇などの実績を残し、東京国際大へ進学後は三宅監督の常識にとらわれないユニークな指導で力をつけた。バーベルを挙げるだけでなく、野球のグラブを手に三宅監督がノックする打球を追いかける日もあった。監督は「器具では鍛えられない筋肉を野性的に鍛えていかないといけない。それが僕の理論」と狙いを説明する。
初出場の東京五輪は約1カ月前にへんとう炎を発症。40度近い発熱で寝込み、体重も約5キロ減った。当時の自己ベストより3キロ軽いトータル342キロを挙げた選手が3位に入り、自身は記録を伸ばせず7位。「全然戦える状況ではなかった」と失意に暮れた。その悔しさを晴らす舞台が迫る。
三宅監督が「一を聞いて十を知るタイプ。教えたことを自分なりに考えて、工夫しているからこそ強くなっている」と評する才能の持ち主は4月のワールドカップ(W杯)で日本記録を更新。国際連盟(IWF)の五輪選考ランキング3位とメダルは射程内だ。「五輪で表彰台に上がらないと認めてもらえない。歴史に残ることをやってほしい」と三宅監督。
宮本は「重量挙げ界を盛り上げるためにも頑張りたい」と花の都で全力を尽くす。
(共同通信)