「競技人生に悔いなし」 一線退き、選手支える側へ 女子ゴルフ諸見里しのぶインタビュー


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 昨季限りでツアー生活に区切りを付けた女子プロゴルファーの諸見里しのぶ(33)(屋部中―おかやま山陽高出―ダイキン工業所属)。05年のプロデビューから通算9勝を挙げ、09年には年間6勝で賞金ランク2位に付けるなど活躍したが、近年は肋軟骨炎の痛みに苦しんだ。ツアー出場権を懸けた予選会には出場しない今季は、日本女子プロゴルフ協会(LPGA)でコースの難易度などを調整するコースセッティング担当に就き、選手を支える側で新たなゴルフ人生を歩み出す。6日、琉球新報のインタビューに応じ、新たなフィールドに立ち、自身を大きく成長させてくれたゴルフに引き続き携わっていく意気込みを語った。

(聞き手 上江洲真梨子)

「新しいことに挑戦したい」と意気込む諸見里しのぶ=6日、南城市の琉球GC(大城直也撮影)

―一線を退いた経緯は。

 「2018年の夏ごろ、若手と一緒にラウンドした時だった。若い選手の一打でギャラリーが沸くのを見て、一緒に回れて楽しいと思った。同時に、お金を払って見に来る方に自分は何を見せられるのか、プロとしての魅力は何か、と自問したのがきっかけ。技術が高くパワーもある若手と一緒にプレーして、年間約40試合の長い期間は闘い抜けないと感じた。心技体と厳しかったこともある」

 「競技人生の大きな目標はツアー10勝と(国内女子)グランドスラムの達成だった。国内ではまだ達成者のいないグランドスラムは、リコーカップの1大会だけ残っていた。その二つを達成できなかったことはすごく心残り。ただ、体の不調で思うような結果を残せなかった時も多くに支えられここまで来た。19年は悔いなく自分のベストで終わりたいと臨んだ。そういう意味では後悔なく競技人生を終えることができた」

―“引退”ではない。

 「ツアーのフル出場権を懸けた予選会には出場しないがダイキンオーキッドや日本女子プロ選手権の出場権を持っている。それらに出られる部分は残しておきたい。引退ではない」

―印象に残る試合は。

 「13歳で初出場したダイキンオーキッドは計19回出場した。14歳の予選の最終18番は今も忘れない。残り3メートル弱のバーディーパットで『これを沈めたら人生が変わる』と放ったショットが入った。今もスローモーションで思い出せる。人生のターニングポイントになった。(当時、女子プロ史上最年少の14歳7カ月で予選通過し)そこからプロへの道が開けた」

―今後の活動は。

 「競技生活に悩んだ時、LPGAからコースセッティングスタッフ募集の連絡があった。セッティングに携わる先輩から『コース設定に関わることで海外でも活躍できる強い選手を育てていける』と聞き、楽しそうだなと心が動いた。まずはステップアップツアーから数試合を担当する。ゴルフは多くのことを学んだ“人生の学校”。微力ながら、この素晴らしい競技を一人でも多くの人に伝えられるよう努めていく」

 「新たな挑戦としてテレビ番組のラウンドレポーターの話も来ている、責任ある仕事でゴルフについてさらに勉強しないといけない。1、2年は学びに時間を費やして今までできなかったことに挑戦したい」

―沖縄のファンに向けて。

 「シーズンを戦い抜く元気をもらえる場所だった。全米ツアー参戦で忙しい時も、沖縄のファンに会いたくてダイキンに参加していた。プレーすることが怖いと思った時もあったが、そういう時でも温かい拍手や声援、指笛で迎えてくれた。ファンの方に育ててもらったと思っている。感謝しかない。特にダイキンは、地元でホステスプロを務め、たくさんエネルギーをもらえた。ことしは残念ながら中止となったが、また来年しっかり準備して臨みたい」