大城みさき、2度目の五輪で集大成を 重量挙げ女子48キロ級


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 【名護】2008年の北京五輪女子重量挙げ48キロ級で8位入賞した大城みさき(南風原高出、ハーツ&ハーツクリニック)が、自身の集大成と位置付ける2016年のリオデジャネイロ五輪を見据え、県内で調整を続けている。来月20日から米国ヒューストンで開催される世界選手権が目前に迫る。日本チームとしての出場枠が懸かる大一番。「自己ベストのトータル180キロを目標とし、さらに上の重量を差し上げたい。新しい自分の姿を見せたい」。2度目の世界最高峰の舞台への第一関門、大城は挑戦者の気持ちで臨む。

比嘉敏彦コーチから指導を受ける大城みさき=名護商工高校(花城太撮影)
世界選手権に向けて抱負を語る大城みさき

 北京五輪が終わりしばらくして、練習場を名護市に移した。高校時代から指導を受け続ける比嘉敏彦教諭が名護商工高校に赴任したためだ。その練習場は同校体育館のわずかなスペースを活用する。恵まれた環境とは言い難いが、大城の長所、短所を知り尽くす比嘉コーチが作るメニューを淡々とこなしていく。
 世界でその名を広めた北京五輪だったが、その後は苦しい日々が続いた。立て続けに両膝を手術し、練習を重ねても記録は伸びなかった。「努力する力がたけている」と比嘉コーチも認めるが、それが災いし、オーバーワークとなり心身のバランスを崩した。
 目指していた五輪連続出場も途絶えてしまったが、「休む勇気」を少しずつ身につけ、逆にフォームも固定化されていった。2013年6月の全日本選手権大会、5年ぶり3度目の栄冠を手にし「復活」への一歩を記した。しかし本人は復活というよりも、「ニュー大城」を意識できた大会と振り返る。「自分のスタイルを一から見直した。心機一転の気持ちで取り組めてきた結果だった」と話す。
 リオ五輪という明確な目標を定め、その後も県内で練習を続けた。関節が柔らかく安定感に欠くため、重量挙げには不利だとも言われた体の特徴を逆に利用。比嘉コーチとともに、全身を使う「バックステップ」という独特のフォームづくりに努めた。ことし6月には全日本選手権で3連覇。世界選手権の日本代表となった。
 金子みすゞ著「わたしと小鳥とすずと」が大好きで、自身に合ったフォームや練習方法を今も模索し続ける。「絶対的な形はないから、ほかの選手の良いところは参考にしていきたい」。向上心が最大の魅力だ。
 比嘉コーチが今回、世界選手権に日本選手団のコーチとして参加することも大城にとっては心強い。五輪出場枠4人を視野に世界選手権では日本チームとして15位以内を目指しており、「記録を残すことが最大課題」と大城は話す。この結果を持ち、来年の全日本選手権でリオ五輪の切符をたぐり寄せたいところだ。
 スナッチ83キロ、ジャーク97キロが正式記録としての自己ベストだ。リオ五輪でのメダル獲得のためにはジャークでの5キロ増が目標。軽量級で、また31歳という競技者では大ベテランとなった大城にとって、この「5キロ」は厳しい数字ともされている。しかし本人は「できる気持ちがある。それがないと競技を続けていない」と力を込める。
 「もう一度、あの舞台に立ちたい」。大城の目は日々、輝きを増している。(外間崇)