【鳥の目ショット】広がる沖縄の原風景 渡名喜島の赤瓦集落


社会
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沖縄からフェリーで約2時間の渡名喜島。青空の下、真っすぐ延びる白砂の道とフクギに囲まれた赤瓦が織りなす景色は、少なくなった期待通りの「沖縄」を感じることができる=6月25日、渡名喜村(小型無線ヘリで撮影)

 沖縄本島からフェリーで2時間あまり。那覇を出発し、慶良間諸島を横目にさらに西に進むと「温(ぬく)もりの海郷(さと)」を掲げる渡名喜島が見えてくる。島を歩けば、まず目に飛び込んでくるのは赤瓦屋根の建造物だ。島の集落は2000年に国の重要伝統的建造物群保存地区に指定され、伝統的な様式に従って建物の建築、修繕をすることが義務付けられている。

フェリーから渡名喜島を眺める親子=6月25日、渡名喜村

 集落内を走る村道には白砂が敷き詰められ、家の囲いに石垣を用いている所もある。屋敷は台風被害を避けるため、道路面より1メートルほど低く建てられているのが特徴で、防風林の役目も果たすフクギ並木が屋敷を取り囲む。見渡す限り、沖縄の原風景が広がっている。

 集落が形成されたのはグスク時代と考えられている。琉球王朝時代には赤瓦屋根の屋敷が造られており、現在でも200年ほど前の瓦を再利用して使っている屋敷もあるという。集落を取り囲むフクギも樹齢250年を超えるものが現存している。

幻想的な光に包まれたフットライト通りを歩く観光客=6月25日、渡名喜村の村道1号

 集落の中心を貫く村道1号にはライトが設置されており、夜になるとほのかな明かりが家屋やフクギ並木を照らし出し、島を彩る。浮かび上がる幻想的な空間は、観光客にも人気があるスポットの一つだ。

 島の歴史に詳しい渡口亮教育長は「屋敷はその土地を持つ人たちが代々住みつなぎ、保存してきた。家は建て替えが行われるが、瓦は古いものを再利用することもある。沖縄戦でも爆撃されなかったため、昔のままの集落が残った。島の人々が大切に守ってきたものがこの街並みだ」と誇らしげに語る。

 集落一帯に広がる赤瓦屋根の家々をはじめとする伝統的建造物群は、島の伝統文化を後世に伝える文化財として、また訪れる人々を魅了する観光資源として、住民の暮らしとともに島に根付いている。
 (文・外間愛也、写真・諸見里真利)

水中綱引きで力いっぱい綱を引く児童生徒ら=6月26日、渡名喜村のあがり浜

島に活気 水上運動会

 島に伝わる伝統は建造物群だけに限らない。年間を通して多数開催される行事は島に活気を与え、住民にとって欠かせないものとなっている。渡名喜島の伝統となっている全国的にも珍しい水上運動会は1919(大正8)年に始まり、現在も渡名喜小中学校の年間行事の一つとして盛大に行われている。戦時中に4回中断した以外は毎年開催され、2016年で98回を数える。

 渡名喜島は古くから海で魚を捕り暮らしてきた漁村でもある。現在では途絶えてしまったが、大正時代に始まったカツオ漁は住民の暮らしを支える重要な仕事だった。最盛期には5隻のカツオ船があり、約200人が従事していたという。このため、漁師の後継者育成を目的に始まったのが水上運動会だった。

 種目も一風変わったものがそろっている。男子800メートル、女子400メートルの遠泳をはじめ、ハーリー、水中玉入れ、水中騎馬戦、水中綱引きなど、普通の運動会では見られない独特なプログラムが並ぶ。子どもから大人までが参加し、大歓声の中で繰り広げられる運動会は島の一大行事だ。

 戦前の水中運動会に参加した経験のある村老人クラブ会長の桃原又一さん(84)は「今は漁師になる子どももほぼおらず、一つの学校行事となっているが、よくこれだけ続いてきたと思う。村民にとって大切な行事であり、いつまでも続けて子どもたちを応援していけたらと思う」と懐かしむように語った。