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<聴事(チチグトゥ)を求めて 組踊初演300年>103 地域と組踊(8) 「組踊語」を基本に伝承


<聴事(チチグトゥ)を求めて 組踊初演300年>103 地域と組踊(8) 「組踊語」を基本に伝承 多良間島で上演される組踊「忠臣仲宗根豊見親組」=2018年、多良間村
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 組踊は王府芸能として誕生し、時代が下るとともに士族社会に浸透し、ひいては地域の豊年祭などの行事に取り入れられていった。現在、組踊の上演や組踊本の所蔵が確認できる地域は、北は鹿児島県大島郡和泊町畦布(あぜふ)(沖永良部島)から、沖縄の南西端に位置する与那国町までである。さらに、沖縄本島内だけでなく、県内の主要な島々(久米島、宮古島、石垣島)にも組踊本が戦前から伝来していることが分かっている。それらの組踊本や作品はすべて首里の言葉の韻文、つまり組踊語で書かれていることが特徴である。

 琉球文化圏は大きく六つの言語(奄美語、国頭語、沖縄語、宮古語、八重山語、与那国語)に分かれている。さらに六つに大別される言語域の中の「沖縄語」圏など一つの言語域でも、集落によって言語差がある。琉球文化圏はこのように言語差が大きい地域にもかかわらず、組踊は組踊語を基本として伝承(上演)されている。そして、その内容は、現在、各地の舞台で上演されている組踊と、地域に伝わった組踊本とで大きな変更はみられない。つまり、地域の言語が首里の言葉と大きく違いがある地域においても、舞台で行われる組踊は組踊語で上演されているのである。一部、マルムンの詞章が地域の言葉となっている事例もみられるが、このように、地域に伝承されても、地域の言葉で演じないところに「台本を持つ芸能」として伝承されていることが読み取れる。「台本(本稿では組踊本としている)」を持っていたことで、戯曲の内容や詞章が崩れずに今日まで伝承されていると言えるのである。

 また、それらの地域で上演されている組踊の中には特定の地域でしか上演(ないし組踊本を所蔵)していない組踊がある。例を挙げると、先述の「忠臣組(忠臣蔵)」、「忠臣仲宗根豊見親組(ちゅうしんなかそねとぅゆみやぐみ)」、「大城大軍(うふぐしくてーでん)」の他に、名護市宮里区の「西南敵討」「糸納敵討(いとぅんなてぃちうち)」「忠臣義勇」、那覇市安次嶺の「久良波大主」、与那国町の「勝連の組」などである。これらの作品の多くは、作者が不明であり、さらに当該地域で上演されるに至った(ないしは組踊本が伝わった)経緯も不明である。しかし、いずれの作品も地域に大切に伝承され、上演されている。

 前述の特定の地域でしか上演されていない作品以外、つまり王府上演された作品のうち、複数の地域に伝承されている作品の中でも、地域で上演される組踊には別の特徴がある。たとえば、名護市久志では「久志の若按司」が上演され、久志には久志の若按司の墓もあり、組踊とともに地域で大切にされている。また、恩納村恩納の「忠臣身替」では、通常「平安名大主」という役名が「山田大主」と、同じ恩納地区の字の名を冠した役名に変更されている。南部地域に目を向けると、南城市知念山里では「手水の縁」が伝承されている。つまり、これらに共通する特徴は、地域(これは字レベルではなく、村レベルで)とゆかりがあるという人物が作品に登場するということである。

(鈴木耕太、県立芸大芸術文化研究所准教授)