「花売の縁」では動物の「マルムン」の他に、作品後半に「薪木取(たきぎとり)」というマルムンが登場する。この役は老け役(老人)で、これまでのマルムンの型でいえば「大城崩(うふぐしくくじり)」の「草切」と同じ型といえる。つまり、詞章には笑いを含まず、主人公に重要な事柄を伝える者である。
「薪木取」にみるマルムンの新たな展開は、「花売の縁」以前の組踊におけるマルムンがすべて壮年の男性であったのに対し、「薪木取」は組踊史上初となる老人のマルムンである点だ。唱えは老人らしくゆっくりとしていて、散文体の詞章の中に、主人公である森川の子が詠んだ琉歌(仲風形式)を織り込み、それをマルムンの抑揚で唱えるのである。次にその詞章を見ていこう。
或時、浜宿りにわび住ひ の題しち、歌に、
あばら屋に月や洩る、雨 や降らねども我袖濡らち。
又
磯ばたの者やれば、朝夕 さゞ波の音ど聞きゆる
薪木取の唱えるこの琉歌はいずれも音数律が5・5・8・6であるだけでなく、「あばら屋に~」の琉歌では「洩る」と「雨」、さらに「濡らち」が縁語として用いられており、「磯ばたの~」の琉歌では「磯」と「さざ波」が縁語関係である。この琉歌からは、森川の子が琉歌を技巧的に創作することができるというだけでなく、その中でも和歌との関係がある仲風形式のものを創作する力があることを想像させる琉歌となっている。さらに、「さざ波」を詠んだ和歌で有名な歌には、「ささ浪やしかのみやこはあれにしを むかしなからの山さくらかな」(千載和歌集 春上66番歌)がある。この和歌も都のことを懐かしんで詠んだ歌であるため、山原に都落ちしている森川の子の琉歌はこの和歌を匂わせている可能性もある。
「薪木取」はその老け役で行われる散文体の抑揚で、森川の子の琉歌を唱えるが、ゆったりとして落ち着きのあるその唱えは、森川の子の境遇やわびしさを的確かつ味わい深く表現しているといえる。
「薪木取」というマルムンは、これまでの情報と伝える役や笑いを含む役というマルムンの役割にゆったりとした詞章を唱える老け役を登場させることにより、まさに枯淡の境地ともいうべき味わいを与えている。換言すればマルムンの芸に新たな境地を開いたと言ってよいだろう。
まとめると「花売の縁」は「北山敵討」の加那筑の犬という動物のマルムンの型と、「大城崩」の「草切」という2つのマルムンの型を用いて、さらに昇華させた作品といえよう。やはりマルムンの基本となっているのは田里朝直の作品であり、後世の組踊作品はこれを基本とし、さらに発展させて作品に用いていることがうかがえるのである。
(鈴木耕太、県立芸大芸術文化研究所准教授)