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首里城復活、誇りかけ再び 宮大工・山本信幸さんが総棟梁で尽力「沖縄の人が担う土台づくりに」


首里城復活、誇りかけ再び 宮大工・山本信幸さんが総棟梁で尽力「沖縄の人が担う土台づくりに」 首里城正殿の再建に向け、柱や梁を組み立てる作業が進む現場で話をする総棟梁の山本信幸さん=10月、那覇市
この記事を書いた人 Avatar photo 共同通信社

 2019年10月に全焼した首里城正殿(那覇市)の再建に、福井県の宮大工、山本信幸さん(65)が総棟梁(とうりょう)として尽力している。30年前に行われた復元工事にも携わっただけに、焼失時の衝撃は大きかったが、支援したいとの思いが芽生え、指揮する立場で再び現場に。26年の完成に向け、職人の誇りをかけて挑む。

 19年10月31日。火災を伝えるテレビをぼうぜんと眺めていた。屋根に飾られた竜の装飾「龍頭棟飾(りゅうとうむなかざり)」が崩れ落ちた瞬間は「ショックが大きすぎて、涙も出なかった」。戦時中に失われ、復元した正殿。その工事は1989年に始まり、自身も担っていた。

 喪失感から一時、何も手に付かなくなった。だが、ともに復元に取り組んだ設計者らと連絡を取り合ううちに、「何らかの形で手伝いたい」という気持ちに駆られた。

 再建は昨年から始まった。国が発注し、清水建設などの共同企業体(JV)が受注。下請けとして、山本さんが会長を務め、文化財建造物の復元などを事業とする「社寺建(しゃじけん)」(福井県越前市)が入った。

 社寺建は木工事を担い、現場では、正殿の柱や梁(はり)を組み立てる作業が進む。全国各地から大工35人ほどが集結。前回の復元工事と異なるのは、地元の若い大工も参加していること。「沖縄の伝統建築を沖縄の人が担う土台づくりができる」と山本さんは顔をほころばせる。

 総棟梁として現在担うのは、漆塗りや瓦、電気設備など、木工事と密接に関わる工事関係者らとの調整役だ。

 「焼失した建物の様相を今生きている人は覚えている。『前と同じだ』と思ってもらわないとだめだ」と強調する。正殿正面の唐破風の曲線を、新たに見つかった古写真を基に微調整するなど、より良くするための努力も惜しまない。

 「皆さんに喜んでもらうことも一つだが、われわれ自身が誇れる仕事をしないと意味がない」。ベテランの言葉に強い決意がにじんだ。

(共同通信)