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<書評>『増補改訂宮良長包作品全集 宮良長包作品解説全集』 蘇った精神活動の所産


<書評>『増補改訂宮良長包作品全集 宮良長包作品解説全集』 蘇った精神活動の所産 『増補改訂宮良長包作品全集 宮良長包作品解説全集』大山伸子著 琉球新報社・増補改訂宮良長包作品全集4290円、宮良長包作品解説全集3190円
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 「沖縄近代音楽の父」宮良長包は明治16年(1883年)に生まれた。今年は生誕140年に当たり、記念のコンサートやコンクールなどが開催された。「沖縄近代音楽の父」という肩書きは30年前に私が言い始めたが、漸(ようや)く他でも使われる様になってきている。もちろん「音楽の母」は、金井喜久子である。

 このほど140周年の掉尾(とうび)を飾る形で、大山伸子氏によって、長包の楽譜集と解説全集とが上梓(じょうし)された。解説全集は、177曲に及ぶ労作である。各曲について小節数や拍子、調名、曲の背景等が詳細に論述されているが、加うるに歌詞やハーモニーの分析があればもっと良かったと思う。

 長包は昭和14年に死去したが、昭和19年の十・十空襲の火災で手書きの原楽譜が全て焼失してしまった。これで長包の音楽も全て失われるのかと思われたが、師範学校の教え子たちが書き写したものをかき集めて、戦後しばらくして楽譜集が出版され、受け継がれたのである。

 本書で特筆すべきは、その楽譜集に収められなかった曲について、大山氏が長包の教え子たちを訪ね歩き、頭の中に記憶しているメロディーを歌ってもらって採譜し、楽譜化した事である。例えば「朝焼の光」「春深し」などがそうである。まさに幻の曲が蘇(よみがえ)った感がする。

 ここで私は、司馬遼太郎氏とドナルド・キーン氏の対談(中央公論「世界のなかの日本」)を思い出す。芭蕉の奥の細道の「壺の碑(いしぶみ)」のくだりで、「国破れて山河在りと杜甫は言ったが、人も自然も全て形而下のものは永遠ではない。思想や文学など精神活動の所産こそ永遠なのである」とキーン氏が話したのに対し、司馬氏は「私は長年読み過ごしていました」と脱帽している。司馬氏の言葉は道を究めた人の謙虚さであり、私はそのことにも大いに感動した。

 精神活動の所産である長包の音楽は教え子の脳内に刻印され、楽譜が灰燼(かいじん)に帰したとしても滅びる事なく生き続け、大山氏の発想と手法とによって蘇ったのである。

(泉惠得・琉球大名誉教授、声楽家)


 おおやま・のぶこ 石垣市生まれ。沖縄キリスト教短期大名誉教授、宮良長包音楽研究者。著書に「沖縄うたの絵本『えんどうの花』―宮良長包メロディー」など。