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命懸けた舞台、切り取る「一瞬」 写真家の大城洋平さん 琉球新報社で写真展「清ら星」 沖縄・那覇


命懸けた舞台、切り取る「一瞬」 写真家の大城洋平さん 琉球新報社で写真展「清ら星」 沖縄・那覇 国立劇場おきなわで舞台を撮影する大城洋平さん=9日、浦添市
この記事を書いた人 Avatar photo 藤村 謙吾

 【浦添】那覇市の琉球新報社2階ギャラリーで21日から24日まで、琉球新報の連載を元に作られた写真集「清ら星」の発刊を記念した写真展が開催された。客席からは見られない角度で撮影された作品や、実演家の個性がにじむ一瞬を切り取った約60点の写真に、来場者は息をのんだ。撮影したのは約20年間琉球芸能の舞台を撮影し続け、「清ら星」の写真も手掛けた浦添市在住の舞台写真家・大城洋平さん(45)だ。

 大城さんは、父で報道カメラマンの弘明さんの影響で、幼少時からカメラに触れた。弘明さんからキヤノン初のAFレンズシャッター機「AF35M」、通称「オートボーイ」をもらい、6歳のころから近所の景色を撮影して回った。小学生の時は遠足や修学旅行にも持っていき、友人を撮影するなど無邪気にカメラを楽しんだが、中学生になると思春期もあり、シャッターを切ることはなくなっていった。

 再びカメラに触れたのは大学卒業後。「家にカメラがあるから、カメラマンの仕事をしたら」という母・正美さんの一言がきっかけだった。漫然と始まったカメラマン人生だったが、2004年に開場した国立劇場おきなわで舞台撮影を依頼されたのをきっかけに、舞台写真家としての道を歩み出す。慣れない琉球古典芸能の舞台撮影が主だったが「ひたすら見て撮って、慣れて、覚える(大城)」を繰り返した。

写真展「清ら星」で大城洋平さんの写真に見入る来場者=23日、那覇市の琉球新報社2階ギャラリー

 やがて、カメラの腕前と舞台に向き合う姿勢が評価され、劇場主催公演だけでなく、実演家が手掛ける琉球芸能の舞台撮影も依頼されるようになっていく。

 「踊り手は踊りに命を懸けて、舞台に出る。地謡はそれに応えられるよう演奏しないといけない」。大城さんが今も心に刻む、「組踊音楽歌三線」人間国宝の城間徳太郎さんの言葉だ。大城さんは「その言葉を聞いてから、舞台に命を懸ける人々に応えられるよう、いつも準備をしている」と表情を引き締める。

 しかし2020年、新型コロナウイルス感染症の影響で、舞台も軒並み中止となり、カメラマンの仕事もなくなる。同時期、コロナで活躍の機会が失われた舞台関係者に光を当てようと企画された琉球新報の写真連載「清ら星」の依頼を快諾。一人一人の実演家と向き合いながら、撮影を進めた。実演家と大城さんが、互いの「命を懸けた」作品たちはまばゆい輝きを放ち、連載は好評を博した。

 大城さんは自身の作品について「思うままに楽しんでもらえれば」と、言葉少なに語る。一方で「舞台はやっぱり生が一番。写真をきっかけに、生の歌声や踊りを劇場へ見にいき、出演者を応援してほしい」と、実演家への思いをほとばしらせた。

 (藤村謙吾)