prime

<聴事(チチグトゥ)を求めて 組踊初演300年>105 地域と組踊(10) 前作から引用して創作


<聴事(チチグトゥ)を求めて 組踊初演300年>105 地域と組踊(10) 前作から引用して創作 平敷屋朝敏作の「手水の縁」の一場面=2023年12月、那覇市の琉球新報ホール
この記事を書いた人 Avatar photo 外部執筆者

 組踊の創作過程はどのようなものだったのか。これは、王府上演が確認できる組踊も地域にしかみられない組踊においても同様の問いである。

 王府上演の組踊を例にすると、玉城朝薫が組踊を初めて創作したが、朝薫の創作した作品をそれ以降の組踊において引用していることが指摘できる。例えば、組踊「二童敵討」では兄弟による仇討(あだう)ちを描いているが、朝薫が組踊を初演した次の冊封では、田里朝直が「萬歳敵討」を創作している。「萬歳敵討」は朝薫の「二童敵討」における兄弟での仇討ちや芸づくしによる仇討ちの方法を引用しつつ、そこに「放下蔵」の趣向を取り入れている作品であるといえよう。

 また、平敷屋朝敏の作と伝わる「手水の縁」は、次のように冒頭の玉津が登場する場面において、「通水節」「早作田節」の音曲を用いている。

 「手水の縁」

 玉津出羽歌 通水ぶし
三月がなれば 心浮かされて
波平玉川に かしら洗は
 早作曲ぶし
波平玉川の 流れゆる水に
すだすだとかしら 洗て戻ら

 「銘苅子」

 通水ふし
一 若夏かなれは 心うかされて
  玉水におりて かしらあらは
 早作田ふし 天女松に飛衣をかけ立直見合
一 けふのよかる日や しちやのめもなひらぬ
  こゝろやすやすと あらてのほら

 ここに示したように、「通水節」では「~がなれば 心浮かされて」「(場所で)かしら洗は」と心が浮き立ち洗髪をしようという内容の詞章、「早作田節」では詞章までは同じでないものの、「洗髪が終わって帰ろう」という内容が同じである。このように、音曲だけでなく詞章も同じように表現していることから、「手水の縁」は美しい女性の登場という部分を朝薫の「銘苅子」から引用していることがわかる。

 組踊におけるこのような前作からの引用は、先に示した作品以外でもみることができる。例えば、敵討を主題とした作品では、相手の城を攻めに行く前の場面で行われる「手配り」があるが、若按司を擁する家臣団の場合、頭役の者が、それぞれの配置や攻め方を述べた後、なぎなたや武術を「揚作田節」などに乗せて披露させる。「手配り」は田里朝直の作である「北山崩(北山敵討・本部大主)」からみえ、武術を見せる場面は、「大川敵討」での「原国兄弟道行口説」や、「天願若按司敵討(久志の若按司敵討)」における「揚作田節」にうかがえる。このような「手配り」の場面は敵討を主題とする作品に必ず用いられる。この場面は朝薫が創作した作品にはみられず、田里朝直の作品から引用していることが指摘できよう。

(鈴木耕太、県立芸大芸術文化研究所准教授)