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<仲地哲夫さんを悼む> 南島研の中心で活躍


<仲地哲夫さんを悼む> 南島研の中心で活躍 東恩納寛惇賞受賞時にインタビューに答える仲地哲夫さん=2011年、宜野湾市内
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 仲地哲夫さんとのお付き合いは、沖縄国際大学に南島文化研究所(南島研)が設立され、仲地さんがその「主事」になられた時からである。半世紀になる。

 南島研は、沖国大の創立間もないころ、初代学長(兼理事長)の安里源秀先生の肝入りで発足した。初代所長には、横浜国立大学から移って来られた宮城栄昌先生が就任された。

 主事としての仲地さんは、手際よく事務をこなされた。南島研は、個人研究の場ではなく、「学際研究」の場として位置づけられていた。さまざまな分野の共同研究や、北は奄美諸島から南は与那国島まで、各地の調査が進められた。研究・討論会は「シマ研究会」、「南島研セミナー」など、活発だった。刊行物には、『南島文化』や、各地の『地域調査報告書』があった。また、窪徳忠(くぼのりただ)先生からの基金を受けて、若い研究者に「窪徳忠琉中関係研究奨励賞」を提供した。これらは今も続いている。

 これらすべての活動の企画立案・事業推進・事務処理の中心となって活躍されたのが、仲地さんである。「仲地さんなくしては、南島研はなかった」と言いたいくらいの仕事ぶりだった。温和な人柄も、格別のものがあった。また、後輩・卒業生だけでなく、市町村史の編集事務局員の面倒も、よく見ておられた。

 のち、文学部に移り教授を務め、また南島研所長も務められた。

 仲地さんは、琉球の歴史研究家である。単行本はないが、論文は多数ある。守備範囲は広く、時代的には、近世を中心に、近代・現代に及んでいる。また分野的には、政治・経済・社会などにまたがっている。

 仲地さんは、これらの業績が評価されて、東恩納寛惇賞を受賞された。二、三の推薦者もおり、この受賞を契機に、いよいよ単行本の執筆に向かわれた。私には「皆は既発表のものを集成すると思っておられるようだが、そうではなく、書き下ろしを目指している」と話しておられた。病を得て後も、病院や施設で、執筆を続けようと努力されていた姿が思い出される。刊行がかなわず残念だ。

 安らかにお眠りください。

 (来間泰男、沖縄国際大学名誉教授)


 第28回東恩納寛惇賞受賞者で沖縄国際大名誉教授の仲地哲夫さんは3月15日に死去、83歳。