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黄色から茶系色に 首里城正殿の中枢エリアの色変更の決め手に 天理図書館の琉球王国古文書


黄色から茶系色に 首里城正殿の中枢エリアの色変更の決め手に 天理図書館の琉球王国古文書 首里城正殿(資料写真)
この記事を書いた人 Avatar photo 当銘 千絵

 奈良県の天理図書館が所蔵する琉球王国時代の古文書のうち、漆芸に関する主な資料に、王府が螺鈿(らでん)細工など漆工芸を制作するために設置した貝摺奉行所(かいずりぶぎょうしょ)の仕様書「御道具図并入目料帳(おどうぐずならびにいりめりょうちょう)」がある。京都大学所蔵「琉球資料」の貝摺奉行所文書(19世紀)より100年古い18世紀初頭の記録もある。今回の首里城復元で正殿の中枢エリアである玉座(御差床(うさすか))の板壁などが、平成復元時の「黄色塗装(黄色塗り)」から茶系色の「黄塗り」に大きく変更する根拠となった重要史料の一つだ。

 県立芸術大学の安里進名誉教授によると、平成の首里城正殿の復元では、御差床と火の神をまつった「おせんみこちゃ」にある御床(おとこ)の壁は、王国時代の正殿修理記録に「桐油黄塗り」と注記があったことなどから、「黄色塗装」が採用された。だが、御道具図并入目料帳や他の貝摺奉行所文書を活用した最近の研究で、「黄塗り」は黄色顔料を使用した黄色塗料ではなく、赤土や渋を下塗りしてその上から漆を塗った技法で、茶系色であることが判明した。

 正殿の重要施設の漆塗装を黄色から茶系色に変更することについて当初は、国が管轄する「首里城正殿の復元に向けた技術検討委員会」の委員から疑問の声も上がったが、同館所蔵の史料などが決め手となり、委員会で承認を得たという。

 安里氏は「より古い文書が出てきたことで、今まで分からなかったことが次々と見えてくる」と強調する。例えば、修復された18世紀の古文書を読み解くと、王府が貝摺奉行所に職人を集めて制作させていた時代があったことが分かったという。その上で「漆芸だけでなく琉球史の研究が飛躍的に加速する可能性を秘めている」と述べた。 (当銘千絵)