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【寄稿】映画軽視の内向きイベント 沖縄国際映画祭を振り返る 真喜屋 力


【寄稿】映画軽視の内向きイベント 沖縄国際映画祭を振り返る 真喜屋 力 国際通りに設置された沖縄国際映画祭のバナー=4月21日、那覇市(又吉康秀撮影)
この記事を書いた人 Avatar photo 琉球新報朝刊

 沖縄国際映画祭が終わり、2日後の本紙1面にも、レッドカーペットの写真とともに「惜しむ声」が掲載された。だが記事を読むと「惜しむ声」は映画祭にではなく、レッドカーペットに対するものだった。沖縄国際映画祭の方向性、観客の指向、報道も、レッドカーペットに収斂(しゅうれん)されている。なので僕は「春の吉本赤絨毯(じゅうたん)まつり」と呼んでいるが、大枠としてそんな映画祭だった。

 経済という部分では、莫大(ばくだい)な経費を降りそそがせ、地元に大きく貢献したことで評価も高いだろう。ただ本稿では「国際映画祭」という映画文化視点からの評価に絞る。

 たいていの国際映画祭の終幕時に報じられるのは、コンペの受賞作と監督名だ。一般に国際映画祭の評価基準の一つとして「才能をどれだけ発見し、紹介したか」というものがある。新たな才能を発掘すれば、映画祭のセンスが認められ、今年はどんな作品を選ぶのかと、世界の目が映画祭に寄せられる。その求心力が、次の作家を紹介する力になり、映画作家からの信頼につながっていくのだ。だが沖縄国際映画祭実行委員会は、そういった映画文化への貢献実績を積むことより、芸能人の実績にぶら下がって映画祭を大きく見せることに終始したのではないだろうか。

 また、沖縄国際映画祭の告知は毎回遅かったが、今年は紙媒体の宣材は当日まで主要会場にも置かれていなかった。地味だが良作(りょうさく)、良企画の数々は、注目どころか多くの人に知られることなく上映を終えた。僕が映画館で働いていた時、預かった作品の宣伝ができないのは恥だと思っていたが、映画祭実行委員会はどう思っていたのだろうか。

 さらに主要会場に掲示された、映画祭の歴史を振り返る写真パネルにも違和感があった。過去に訪れたゲスト監督たちの写真は、吉本興業の芸人監督ばかり。映画祭が満を持して選んだその他の映画監督たちにも思いをはせるべきではないのか。

 沖縄国際映画祭の、現場を支えたスタッフ、出品作の関係者の真摯(しんし)な努力には敬意を表する。しかし、映画祭実行委員会が16回の映画祭で作り上げたのは「国際映画祭」ではなく、映画を軽視した、バブリーで内向きのローカルイベントでしかなかった。県外、海外からの「惜しむ声」があるなら聞いてみたい。 (映画監督)