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【寄稿】「県産本」フェアで定着 文化・歴史をつなぎ続け<沖縄書店の変遷・文化の拠点のいま>下


【寄稿】「県産本」フェアで定着 文化・歴史をつなぎ続け<沖縄書店の変遷・文化の拠点のいま>下 「沖縄県産本フェア」が20年の節目を迎え開かれたトークイベント=2018年6月20日、リブロ・リウボウブックセンター
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 1994年に県内の出版社若手有志が集まり「沖縄県産本ネットワーク」が結成される。最初は情報交換のゆるやかな場であったが、フリーペーパー「県産本ニュース」の発行を経て、99年10月には第1回「沖縄県産本フェア」を文教図書パレット店で開催した。沖縄のさまざまな出版社、発行所が勢揃いしてのフェアは初めてのことだったはずだ。当時34の版元が参加したが、こうした規模のフェアは文教図書でしかできなかったのだ。

文教図書の危機

 米軍基地の返還跡地が商業地として開発されるに伴い、90年代後半から2000年にかけて郊外型書店は増加していく。さらに大型ショッピングモールが開業していくと、その一画には県外資本の書店が出店していく。従来の街角の小規模書店は、漫画雑誌や週刊誌の売り上げがコンビニとの競合を強いられるなか奮闘していたが、次第に減少していくようになる。

 県民の消費行動の中心が、街中の商店街から週末の郊外型ショッピングモールに変化していくなか、2001年8月、文教図書が民事再生手続きをするというニュースが流れた。その第一報は、県産本ネットワークの会合で、第3回沖縄県産本フェアの打ち合わせの最中だった。負債総額は相当なものだったが、書店業務はそのまま継続された。「沖縄の出版社としてどう思うか」という新聞記者の質問に、何と答えたかは憶えていない。しかし、相当なショックを受けていたことは間違いない。

リブロの進出

 03年、文教図書パレット店はその役目を終え、リブロがその業務を受け継ぐ形で出店することになる。リブロは東京の西武百貨店、セゾングループをルーツに持つ書店チェーンである。百貨店が文化を発信するという、1980~90年代にかけての理念があったのかどうか今となっては分からないが、地元百貨店の中にある老舗書店の流れをリブロが引き継ぐことになったのである。

 当初、沖縄の出版社はリブロがどういう対応をするのか、「黒船来航」のごとく戦々恐々としていた。県産本の扱いはどうなるのだろうか。リブロは県内の版元を集めて説明会を開き、これまで通り「沖縄・郷土本コーナー」は継続し、地元版元との取引も行うことを伝えた。そして県産本フェアもそのまま行われることなった。特筆すべきは、文教図書のレガシーを受け継ぐ形で、南北大東島への出張販売業務も継続したこと。本の流通のない島しょ地域に書店が新刊を運び、年に2、3回展示販売をするという判断に、書店としての矜持を感じたものだ。

 「リウボウブックセンター リブロ」(当時の名称)となって、県産本ネットワークとのは関係はさらに密になり、第6回県産本フェアでは、リウボウルホールを会場にしてパネル展「戦後県産本のあゆみ」を開催した。この時まとめた資料はその後も増補され、フェアのパンフレットで使用されたほか、沖縄の戦後出版史をまとめる際の資料としても十分活用されるものとなる。同フェアでは朗読会や映画祭、シンポジウム、バーゲン本コーナーなど、さまざまなイベントも行われた。こうした盛り上がりはリブロ・リウボウブックセンター店があってこそだったと、今にして思う。

 “県産本”という言葉が定着した背景には、この県産本フェアが、文教図書パレット店、そしてリブロBC店で21回にわたり継続して行われたことが大いに関係しているのである。

大型書店の登場

 しかしその頃、国際通りに本を探してはしごするほどあった書店は、ほぼなくなっていた。「沖縄ブーム」を背景にして、通りの人波の中心は地元客から観光客へとシフトしていたのである。みつや書店は倒産閉店し、球陽堂は新都心にできた県内最大規模のショッピングモールに移動していった。地元買い物客はより郊外化し、住宅地の中にあったまちや小もなくなり、コンビニがその役割を担うようになっていた。

 2009年には国内最大手の書店チェーン、ジュンク堂書店が沖映通りのダイエー那覇店(ダイナハ)跡のビルに入り、在庫120万冊という規模でジュンク堂書店那覇店がオープンした。ジュンク堂は、国内各地で衰退・空洞化と言われた街の中心商業地域に出店していたのだが、那覇店は当時、池袋本店、北海道店などに次ぐ大規模店舗であった。同じ頃、県内のショッピングモールを中心に展開していた宮脇書店が、泊港の臨海複合施設ビルとまりん内に在庫80万冊を並べる沖縄本店を出店している。

 ジュンク堂書店那覇店は、沖縄に関する書籍コーナーを100坪という圧倒的規模で設け、常時、沖縄本フェアを行っているような状態となっていた。また、多種多様なイベントも随時開催されるようになる。

 郊外型書店は10年代になると、フランチャイズ書店の経営母体が変わったり、県外から参入していた書店が撤退していくようになる。一方で沖縄の古書店は“街の本屋さん”的な雰囲気をもつ新店舗が増えてきた。「ブックパーリーOKINAWA」など、これまでにないイベントも開催されている。人と本が出合える場所を模索しつつ、さまざまな取り組みがされている。それでも、街の書店はどんどんなくなり続けているというのが現状だ。

書店というメディア

 書店の減少は、日本の出版・流通業界全体の構造に関わる問題である。コロナ禍以後、書店に訪れる人の数や滞在時間は減少したという。さらに島しょ地域の沖縄では流通上の格差や、急速に進んだ郊外化による消費行動、生活様式の変化により、街なかの書店をめぐる状況は厳しい。

 本というメディアの歴史は古く長い。国や地域を越えてさまざまな文化、歴史、政治状況を知ることができ、実用的な知識を得て、美的感覚を刺激し、個人の欲望を満たしてくれる。質感のあるモノとしてやり取りすることでかもし出される磁力が、本にはある。その力は、さまざまな工夫の上に配置されている棚や平積みの書籍たちを眺めるだけで体感できる。

 読者が初めて出合う本を並べる―。それだけで書店自体もメディアとなり、何かしらの力を発信し続けてきたのだ。「沖縄・郷土本コーナー」を大切にしてくれた沖縄の書店は、本を媒介して人々の生活を支え、その文化・歴史をつなぎ続けてくれた。

 どんな書店にも思い出があり、無くなるのは寂しい。それでも今回のリブロBC店閉店の知らせは、やはり重く受け止めてしまう。文教図書からリブロがつないだ沖縄の書店の歴史の流れは、このまま終わるのだろうか。それとも街角のざわめきのなかに新しい書店が返り咲くことはあるのだろうか。そんな思案の中、今月もできたての県産本の新刊を、県内の書店へ配本しているのである。


 新城 和博(しんじょう・かずひろ) 1963年生まれ、那覇市出身。ボーダーインク編集者、エッセイスト。主な著書は「来年の今ごろは ぼくの沖縄〈お出かけ〉歳時記」など。