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組踊「銘苅子」「女物狂」上演 変容する組踊の存在価値<寄稿>大野順美


組踊「銘苅子」「女物狂」上演 変容する組踊の存在価値<寄稿>大野順美 再会した母(左端・新垣悟)と亀松(左から2人目・富島花音)。見守る座主(右端・嘉手苅林一)ら=5月11日、浦添市の国立劇場おきなわ(同劇場提供)
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 5月11日、国立劇場おきなわで組踊『銘苅子』『女物狂』が上演された。母子の愛をテーマにした2演目を選んだのは母の日の前日だからかと思っていたが、劇場主催では母の日公演を開催したことはないので確認してみると、ほかに「1~3月の開場20周年記念公演に入りきらなかったから」という理由もあったという。両演目はともに1719年(組踊初演年)に上演記録がある作品。つまり、劇場としては御冠船芸能を1月に上演した時に、この2作も同時上演したかったという背景があるのだろう。

 ともあれ当日は豪華出演者のファンも多く詰めかけた模様で、客席は大入り。母を演じた佐辺良和(天女)と新垣悟(母)の切ない演技、子役(上原妃菜、比嘉龍玖、富島花音ほか)のあどけない姿、物語を支える丁寧な地謡(島袋功、西江喜春ほか)に多くの観客が涙を誘われた。

 我部大和はステージガイドで、漢訳された冠船芸能の解説書『演戯故事』について触れていた。儒教を重んじる中国をもてなすための芸能だった組踊が、現代になると母の日公演として認識される点が興味深い。終戦直後に上演された『花売の縁』が戦で家族を失った観客の胸を打った事例もしかり、時代によって組踊の扱われ方、存在価値が変容するということも表しているだろう。

 では政治的接待と母の日では目的が全く違うかというと、そうでもない。儒教では「親を何よりも大切にする」という孝の道を説いている。劇場は母の日に母子の情愛を描く公演を開催し、家族は母親に公演チケットをプレゼントする。まさに儒教の孝が沖縄に根付いているではないか。いつの時代も親孝行は普遍的なのである。

 『女物狂』の結びでは、生き別れた母子が再会し仲良く家路につく際、座主を演じる嘉手苅林一がこの親子の行く末に幸あれかしと言わんばかりに2人の背中を見守り深くうなずいたのが印象的であった。「不思議な縁よ、不思議な縁よ」の慈愛に満ちたせりふ回しも心に染みた。

 家族円満は島の平和にもつながる、清明が終わったこの時期にそう実感させる舞台であった。

 (一般社団法人ステージサポート沖縄代表)