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金利ある世界へ 〈上〉 「壮大な実験」効果なく マイナス金利 当初から懐疑論  


金利ある世界へ 〈上〉 「壮大な実験」効果なく マイナス金利 当初から懐疑論   2013年4月、金融政策決定会合後の記者会見で、日本経済の現状や追加緩和の理由などを説明する日銀の黒田東彦総裁=日銀本店
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 日銀が17年ぶりの利上げとなるマイナス金利政策の解除を決めた。2013年の導入時に「異次元緩和」「黒田バズーカ」ともてはやされた大規模な金融緩和策が当初想定した通りの効果を発揮した結果なのか。政策決定の舞台裏を検証する。

自信 
 13年春。日銀のエコノミストを束ねる前田栄治調査統計局長は、就任したばかりの黒田東彦総裁と行内の会議で顔を合わせた。金融緩和論者の黒田氏が行内に号令をかけ、2年程度で物価上昇率を2%に高めるための具体策の検討が本格化していた。
 バブル経済崩壊後、物価上昇率が2%を超えたのは1992年だけ。実現に懐疑的な前田氏は「2年で2%は難しいと思います」と黒田氏に直言した。
 日銀は13年4月4日の決定会合で、巨額の国債などを購入し、市場に出回るお金の量を増やす大規模緩和策の導入を決めた。円安と株高が進み、黒田氏は「現時点で必要な政策を全て講じた」と胸を張った。

失速
 しかし前田氏の懸念は現実となった。マイナス圏に沈んでいた物価は上昇に転じたものの、2%に届く前に失速。2年が過ぎても2%は達成できず、形勢逆転を狙った日銀は16年1月、銀行が日銀に預ける資金に手数料を課すマイナス金利政策の導入を決めた。
 副総裁だった岩田規久男氏は、この政策が消去法で決まったと明かす。「国債購入額をさらに増やすか、マイナス金利か。購入額を増やすことは金融政策決定会合で否決される可能性があった」
 マイナス金利という劇薬も効かず、日銀は16年9月に長期金利と短期金利を低く抑える「長短金利操作」を導入。政策目標をお金の量から金利に転換した。

反動
 ある日銀幹部は転換の意味をこう解説する。「異次元緩和という壮大な実験が効果を上げられなかったということだ」
 それから3年余り。新型コロナウイルス禍で経済環境は突如一変した。街から人が消え、経済活動には急ブレーキがかかった。20年4~6月期の実質国内総生産(GDP)速報値は、前期比年率27・8%減と戦後最悪のマイナス成長となった。
 米欧でも景気が落ち込んだが、これが日銀に有利に働いた。コロナ禍が収束すると、米欧を中心に需要が急回復、物価が高騰。輸入品の価格上昇が物価を押し上げた。
 物価上昇率は22年4月に2%を突破。日銀内では「コロナ禍がなければ2%は達成できなかった」とささやかれた。
 その後も物価上昇率が2%を下回ることはなかった。23年と24年の春闘では、多くの労働組合が物価の急上昇を受けて高水準の要求を掲げ、大幅な賃上げが相次いだ。
 日銀がマイナス金利の解除を決めた今月19日の決定会合後の記者会見で、植田和男総裁は「異次元緩和の遺産のようなものは当面残り続ける」と正常化の完了までに長い道のりがあることをにじませた。歴史的な転換点を迎えたことへの高揚感はうかがえなかった。

2013年4月、金融政策決定会合後の記者会見で、日本経済の現状や追加緩和の理由などを説明する日銀の黒田東彦総裁=日銀本店