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那覇空港からアジアの市場へ 「MRO Japan」航空機の重整備で足場着々<Who強者How強者 沖縄企業力を探る>9


那覇空港からアジアの市場へ 「MRO Japan」航空機の重整備で足場着々<Who強者How強者 沖縄企業力を探る>9 航空機の重整備を手掛ける国内で唯一の専門会社として、MRO Japanの強みを語る高橋隆司社長(中央)と整備士ら=9月10日(ジャン松元撮影)
この記事を書いた人 Avatar photo 琉球新報朝刊

 航空機の重整備(MRO)を請け負う国内で唯一のMRO専門会社が那覇空港を拠点に事業拡大を図っている。「MRO Japan」(MJP、那覇市、高橋隆司社長)だ。全日空(ANA)グループ再編で、成長分野として独立した事業だった。

 リーマン・ショックの傷跡が残る2011年。日本航空が会社更生法の適用を受けて経営再建を目指していた中、ANAグループにも「構造改革待ったなし」の空気が広がっていた。進められたのは事業やグループの再編。着目された事業の一つに航空機整備部門があった。羽田、成田、伊丹の国内3空港で航空機整備をしてきたが、羽田に一極集中させる案が浮上した。伊丹や成田は格納庫が老朽化し、修繕するよりも「羽田集約」でコストも抑えられた。

 一つ、ハードルがあった。羽田は大型機、伊丹は小型機の整備で分担していた。羽田に集約しても設備の関係で小型機の対応は厳しい。伊丹で50年近く培った小型機の整備ノウハウは失われかねなかった―。

 航空業界では1990年代ごろから、機体の通常整備に加えて行われる「車検」のような位置付けの重整備をコスト削減のためにアジア諸国の企業に外注する機会も増えていた。自前の重整備部門がないLCC(ローコストキャリア)も増加。そんな環境下で、事業の効率化を進めつつも同時に「日本の技術力」を守らなければいけない。この危機感の中で、重整備専門会社のプロジェクトが動き出した。

 小型機整備技術を残したいと考えたANAが着目したのは、沖縄。新産業の創出による雇用拡大を推進していた県や国と協議を重ね、那覇空港の一角で一括交付金を活用し拠点となる駐機場を整備する計画が固まった。15年にANA主体で会社を設立し、19年には航空機用内装品メーカーのジャムコや三菱重工業、県内金融機関や沖縄電力なども出資してプロジェクトに参画した。

 会社設立時はまだ那覇空港の拠点となる格納庫は完成しておらず、地元沖縄で採用した従業員たちが施設のある大阪伊丹空港で技術を学んだ。技術を習得した従業員たちが沖縄に戻り、那覇空港に事業を完全移転したのは19年。当時はMJPが直接採用した60人、ANAグループから派遣されてきた180人、計約240人の体制で“離陸”した。

 当初はANAグループの機体整備が主体だったが、スカイマークや日本郵船子会社の日本貨物航空(NCA)、自衛隊機など官公庁機材、ビジネスジェットなど他社の整備受注も次第に増えた。23年度にはグループと外部で「7対3」の比率となった収入は、26年度には「5対5」とすることを見据えている。

 20年度に当初計画の1年前倒しで黒字化を達成し、21年度には累積損失解消。24年度も黒字を見込む。23年度の売上高は19年度の25億円から約40億円と増加するなど着実に成長してきた。

 沖縄に着目したのはもう一つ重要な理由がある。アジアの中心に位置する地理的優位性だ。「将来のビジネス、小型機の整備を考えた時にアジアに目を向けると、沖縄に一番の魅力と可能性があった」と、MJP立ち上げに奔走した高橋社長は振り返る。

 その言葉の根拠となるデータがある。世界の航空機数は19年から向こう20年で1・9倍の4万9千機に増えると見込まれるが、中でもアジアは全世界の伸びを上回る約2・5倍の約1万8千機まで増える見通し。うち小型機が70%を超えると予測されている。MJPの「専門分野」だ。

 これに伴い、アジアのMRO需要は22年からの10年で2倍に増えると予測されている。さらに「ボーイング737」や「エアバスA320」などの小型機は、太平洋を横断できない。実際の航続距離は最長で約4千キロ。だが日本最南端の沖縄を「足場」にして見ると、日本からシンガポールまでがすっぽり入る大市場が広がっている。「沖縄から世界へ」を合言葉に、「アジアを代表するMRO」を目指す。

(島袋良太、與那覇智早)


<用語>MRO

 MAINTENANCE(メンテナンス、整備)、REPAIR(リペア、補修)、OVERHAUL(オーバーホール、分解・修理)の頭文字で、航空機整備を専門とする業態。航空機整備は、出発前点検、燃料補給やおおむね1カ月ごとのエンジン点検などの「運航整備」と機体を格納庫で長期間調べる「重整備」に大別される。