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私の生まれ故郷は「悪魔の島」 安里拓也(さびら平和学習講師)<未来へいっぽにほ>


私の生まれ故郷は「悪魔の島」 安里拓也(さびら平和学習講師)<未来へいっぽにほ> 安里 拓也
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 2017年8月、ベトナム戦争証跡博物館を訪れた18歳の私は、戦争のリアルを鮮明に映し出した展示を前に立ち尽くした。
川の中を逃げる幼子を連れた母親、枯れ葉剤の影響を受けた胎児、見慣れた兵士の制服。その光景は衝撃的だったが、同時に、子どもの頃に親戚のおばあちゃんや学校で聞いてきた「沖縄戦」と重なった。

 最後の展示室で目に飛び込んできたのは、「沖縄」という文字だった。私の生まれ故郷は「悪魔の島」と呼ばれていた。当時、沖縄の米軍基地から爆撃機がベトナムに飛んでいた事実を、私はこの展示室に入るまで知らなかった。
ベトナムにとって、沖縄は「悪魔の島」。沖縄がベトナム戦争の好景気に沸く中、海の向こうで戦争の犠牲になっている人々がいた。
いたたまれない。基地の隣には必ず戦争があると、強く実感した。

 この体験がきっかけで、沖縄戦、基地問題の探求が始まった。平和ガイドや講話・ファシリテーション活動に取り組み、2023年、24歳の現在は、株式会社さびらの仲間と沖縄戦などを学び、さまざまなカタチで伝えている。
78年前、私たちのおじい、おばあは戦争を生き残り、多くの沖縄戦の記憶を残してくれた。何よりも、私たちの世代にまでその命をつないでくれた。

 戦争は人も命も壊し、多くの傷跡を残す。さらに戦争がもたらす影は、時も場所も超えて、私たちに届く。

 「悪魔の島」で育った私の仕事は、沖縄戦を学び、伝えること。沖縄の平和学習をテーマに、自分なりの視点で表現していくので、半年間のお付き合い、ゆたさるぐとぅうにげーさびら。