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感謝の気持ち、届け 「普通校へ通わせたい」道開いた幼稚園の先生たちへ 皆で車いす手助け、人工呼吸器装着でも入学橋渡し


感謝の気持ち、届け 「普通校へ通わせたい」道開いた幼稚園の先生たちへ 皆で車いす手助け、人工呼吸器装着でも入学橋渡し 湯地駿羽さん(中央)の高良小学校卒業式に駆け付けた、西原美津江さん(右端)と与儀守貴さん(左端)=2018年3月(提供)
この記事を書いた人 Avatar photo 琉球新報朝刊

 11月25日は「先生ありがとうの日」。園児がいる家庭向けの無料情報誌を発行する「こどもりびんぐ」が発案し、日本記念日協会が認定した。感謝の気持ちが先生に多く届いてほしいとの願いが込められている。過重な業務負担などを背景に教員不足は深刻だが、その存在に救われた子どもや保護者は多い。「あの時先生がいてくれたから今の自分がある」と感謝する人たちを取材した。 (嘉数陽)

 全身の筋肉が萎縮する重い病気で人工呼吸器が必要な湯地駿羽(はやと)さん(18)は2012年4月、県内で初めて人工呼吸器をつけて普通校の小学校に通学した。周囲は無理だと言ったが、幼稚園の教員たちが入学の道筋を開いた。母親の三代子さん(49)が振り返った。

 駿羽さんが5歳の頃、三代子さんら両親は「地域の子どもたちと一緒に過ごせる、普通校の小学校に入学させたい」と願い、はじめに幼稚園への入園を試みた。断られるだろうと不安はあった。しかし、那覇市の高良幼稚園を訪ねると、園教員は明るく迎え入れ、三代子さんら拍子抜けするほどだった。

 特に西原美津江主任、担任の与儀守貴教諭が中心となり園での生活を支えた。他の園児たちは当初、見たことのない機器をつけた駿羽さんに驚いていたが、西原教諭らが手の握り方や車いすの押し方など丁寧に教えた。子どもたちは一緒に遊ぶようになった。

 西原教諭らは早くから併設校の高良小の教員と交流する機会を頻繁に設けた。駿羽さんにも小学校にも不安が少ないよう環境づくりに努めた。順調な園生活を過ごすことができ、高良小への入学は円滑に決まった。放課後、自宅に遊びに来る子どもたちもいた。やがて普通校の小禄中に進んだ。自宅には友人らと駿羽さんの写真がたくさんあった。西原教諭らが小学校の卒業式を祝う写真もはちきれるような笑顔を見せていた。

 三代子さんは「駿羽の受け入れには不安と苦労の連続もあったはずだが、先生たちはそれを感じさせなかった。駿羽にとって幸せな環境をつくることに全力を注いでくれた」と感謝した。「先生たちが駿羽の幸せをつくってくれたね」と隣で話しかけられると、駿羽さんも変わらない笑顔を見せた。