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岐阜の小学校、運動会で「エイサー」25年 教員の佐々木さん、沖縄への思い伝える


岐阜の小学校、運動会で「エイサー」25年 教員の佐々木さん、沖縄への思い伝える 運動会でエイサーを披露する岐阜市立島小学校の子どもたち=5月25日、岐阜市の同校(Dilshan Chanukaさん提供)
この記事を書いた人 Avatar photo 高橋 夏帆

 岐阜市の島小学校は25年間、運動会で児童が創作エイサー「ミルクムナリ」を披露している。エイサーに魅了された同校教員の佐々木雅子さん(61)が、エイサーを学び児童に教えるようになったことが始まりだ。四半世紀続く今、教え子も親世代となり、運動会では地域住民から愛される演目となっている。

 5月25日の運動会では、太陽が照りつける中、頭に紫色のマンサージ、法被を身に付けた小学6年生124人が、手製のパーランクーを手に演舞した。

 今年3月、島小学校では卒業を控えた6年生が5年生に向けてエイサーを踊り、振り付けを教える引き継ぎがあった。4月中旬から運動会に向けた練習が本格化すると、佐々木さんは新6年生に手の動きや足の運び、身体の向きなどを教えた。そして、世替わりを繰り返してきた沖縄の歴史や、「ミルクムナリ」が五穀豊穣(ごこくほうじょう)を願う曲だと児童に伝え、「遠くの話ではなく身近なこと。人として忘れてはいけない」と語った。

 島小学校が運動会でエイサーを始めたのは、佐々木さんが赴任した1999年からだ。佐々木さんは97年、前任校で児童と「風の結人」を踊ったのを機に、「三線の音が良く、踊りは集中するほど引き込まれる。本物の踊りが見たい」と、翌年初めて沖縄を訪れた。

 那覇市で一万人のエイサー踊り隊を見た後、琉球國祭り太鼓東京支部から3曲習得。すっかり魅了され、過去25年間は旧盆を含め年4回ほど沖縄を訪れた。過去には沖縄で園田エイサーや平敷屋エイサーも教わった。

 岐阜市立島小学校に赴任した99年、「地跳びドゥイ」を運動会の演目に加え、翌年から米作りの学びと収穫を喜ぶ踊りを合わせて「ミルクムナリ」を始めた。

 今年5月25日の運動会では、6年生が下級生や地域住民らに見守られて力強く舞った。父がうるま市出身の平敷武月さんも演舞した。保護者の中には2000年にエイサーを踊った人もおり、思い出話に花を咲かせた。

 小学校で受け継がれるエイサーを、6年生の大嶋陸斗さんは「生まれる前からずっと続いていてすごい。踊った後やりきった気持ちになるのがうれしい」と話す。佐々木さんは「魅力があるからこそ続いている。伝統芸能や沖縄の歴史にも目を向ける子どもも増えている」と喜びをにじませた。 

(高橋夏帆)