「あなたを待っていた…」甘い言葉に誘われて<112年前の沖縄の怖い話「怪談奇聞」>10


「あなたを待っていた…」甘い言葉に誘われて<112年前の沖縄の怖い話「怪談奇聞」>10
この記事を書いた人 Avatar photo 熊谷 樹

9月半ばになり、沖縄本島に立て続けに台風が接近しています。昔は台風で外出もままならない夜には怪談を楽しんだと聞きます。

明治から大正に改元した1912年8月5日、琉球新報で突如連載が始まった「怪談奇聞」。読者に投稿を呼びかけ集めた〝実話系〟怪談は、約1カ月34回にわたって連載されました。当時の琉球新報社には毎日2、3通の投書が届くほどの人気ぶりでした。

1912年の沖縄は、明治時代から続く風俗改良運動や旧慣改革で日本への同化政策が進められ、近代化と差別の間で揺れ動いた時代でした。「琉球王国」の名残を色濃く残した「沖縄」のリアルな怪談を紹介します。

連載第10回目は、甘い言葉で誘われ夜通し過ごした女性が実は・・・という話です。

文章は当時の表現を尊重していますが、旧字や旧仮名遣いは新漢字、ひらがなに変換し、句読点と改行を加えています。

怪談奇聞(十)
恋の幽霊物語り

時は慶応三年の出来事であります。所は国頭本部渡久地のある富豪の嫡子仲宗根某が脚気を患い毎日治療のため半里余の満名の藪医者の家に通うていた。ある日、例の通り満名に行き、だいぶ病気の経過も良しといって藪医と四方山話をなし、常より時間を過ごして夜の十二時帰路についた。

空は一面黒雲漲りて、今にも雨が降りそうな空模様である。仲宗根某は重い足を引きずりながら伊野波村の入り口までやって来て、俗にアマシ川というところに差し掛かるやフト向こうの石の上に一人の若い女が思案顔で立っているのを見た。

現在の本部町伊野波の集落=2021年6月

仲宗根は無言のまま行き過ぎんとすると女は慌ただしくモシモシと呼び止めた。初めのうちは不思議つつ思うていなかったが、女の様子がチト怪しいので「貴様は誰だ」と聞き返すと「私は伊野波村の某の娘でござりますが、先日来貴方様がここをお通りなさるので一度是非お目に掛かろうと思っていました」

と言いながら妙な目つきをする。「こいつ参っているな」と思ったが、素性も分からぬ女にウッカリ乗るものではないと仲宗根はなおもいろいろ言葉を交わして性態を試みるに、人間に相違ないから安心して女の誘うままアマシ川橋に行った。

橋は厚さ二寸位の松板二枚並べて架けてあるちょっとした所だが、その上にて女と様々な物語りをしたが、女が言うには「貴方のことは一日たりとも忘れたことはありません。今日お通りになったのをお帰りを待ってぜひお話をしたいと今か今かと思っていました」

仲宗根はとうとう女に魅せられ目尻を下げ、したたかふざけ出す。ただでは淋しいから泡盛を買ってこいと銅貨十銭をハンカチーフに包んで渡したら、女は飛ぶように酒を買ってきて、そして差し向かいてグイグイ飲んだ。二人は酒が尽きるまで嬉しい契(ちぎり)を結んだ。

仲宗根は女と立ち別れ足の痛さも忘れ今しも渡久地村俗にヒーザー川の前まで来ると、空は一層険悪となり寒気激しく四方寂寞としてその物淋しきこと言わん方なし。仲宗根は機嫌混じりの勇気に少しも怖じずに歩いた。

するとにわかにプンと異な臭いがするかと思うと一人の女忽然と自分の眼前に立った。よくよく見ると以前に話した女で、「お前は先刻の」と言いもあえず、パット消えてしまった。男は大いに驚き酒の酔いも醒めて懸命に逃げ出したのである。

初めてかの女が幽霊だったと分かり、家族に話して翌日アマシ川橋に使ったら、果たしてハンカチーフに銅貨十銭包んだままあった。

仲宗根はその翌日より病勢加わり、五日目に死んだのである。伊野波字の入り口は幽霊がいるに今も伝わっている(春花生)

投書歓迎 本社怪談奇聞係宛のこと。

「怪談奇聞」(十)=大正元年八月十四日付琉球新報三面

怪談の舞台 伊野波村

本部町発祥の地として知られ、満名川の中流に位置します。間切時代には一時期、番所が置かれ、本部間切の中心をなしました。男女の悲恋を歌った「伊野波節」の舞台「伊野波の石くびり」が有名です。

(次回は9月20日に掲載)