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【寄稿】ロシア音楽の特色 貴族音楽家 民謡血肉に 岡田敦子<音楽からみたウクライナとロシア 孫崎講演第2部に寄せて>


【寄稿】ロシア音楽の特色 貴族音楽家 民謡血肉に 岡田敦子<音楽からみたウクライナとロシア 孫崎講演第2部に寄せて>
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 孫崎享講演会が11月1日午後6時から那覇市のパレット市民劇場で開催される。第2部は、「音楽からみたウクライナとロシアの関係」と題した演奏会。演奏を披露するピアニストで東京音楽大学副学長の岡田敦子さんに寄稿してもらった。

 ロシアの音楽には際立った特色がある。西欧化政策の一環として十八世紀始めに輸入され、音楽家たちがほぼ全員貴族だったことである。西洋音楽の模倣から始めた彼らは、やがてナポレオン戦争をきっかけにロシアに目覚め、文学者や画家たちと同様、ロシアの民衆の暮らしや民謡に心を寄せ、強烈なロシアらしさを放つロシア国民楽派を形成していった。

 この過程は、日本の西洋音楽導入と似ているようにみえる。日本も明治維新後の西洋化の一環として「上から」西洋音楽を導入し、模倣から始め、やがて山田耕筰らによって“日本らしさ”が吹き込まれていった。

 しかし、ロシアでは、日本が学校唱歌を通して、国民一人一人に西洋音楽を教えるような動きはなかった。貴族であった彼らと大半が非識字者であった民衆の関係と、明治政府の役人たちと識字率の高い国民との関係は、異なっていたと言わなければならない。ロシアの子供用教材はきわめて優れているが、それらが生まれるのはソ連時代になってからである。

 ロシアの音楽家たちは、自分たちの階層を離れ、民衆一人一人に西洋音楽を手渡すことはできなかった。しかし、民衆の音楽を愛し、多くの民謡を採譜し、民謡集を作った。こうして集められたロシア民謡のエッセンスは、ロシア国民楽派の血肉となり、ムソルグスキーら「五人組」の音楽も、西洋派と言われたチャイコフスキイの音楽も、十九世紀後半の西洋音楽の大きな潮流の一つとなっていった。

 しかし、彼らの階層と民衆の生活の距離が縮まったわけではない。貴族ではない作曲家がロシアに生まれるには、まだ半世紀近くを待たなければならない。言い換えれば、ロシアの芸術音楽は、ロシアの民衆のなかから生まれてきたものではなく、同じ時間と空間にあっても、当事者にはなりきれない、「外からの眼」を内に抱えていたのではないだろうか。それは「第三者の眼」と言えるものかもしれない。

 来る11月1日(金)にパレット市民劇場(那覇市)で、孫崎享氏の講演「平和的解決をめざして」の後をうけ、ピアノ演奏「音楽からみたウクライナとロシアの関係」を行なう浜野与志男は、「戦後のソビエト音楽には、社会を俯瞰(ふかん)するような第三の視点がある」と言う。それはロシア音楽がその生い立ちから背負ってきたものではないだろうか。

 浜野与志男は、東京外国語大学の教員でもあったロシア人の母と、モスクワやキルギスの日本センター所長を務めた父親をもち、日・露・英・独・仏語を使うマルチリンガル・ピアニストである。日本、ロシア、ヨーロッバを行き来しながら育ち、日本を代表する若手ピアニストとなってからも社会と政治から目を離すことなく、報道とも住民とも異なる視点を培ってきた。これまで公の発言を控えてきた彼が、沖縄という地を得て、1日は弾き、かつ語る。


 おかだ・あつこ ピアニスト、東京音楽大学副学長。学術博士。20世紀初頭のロシアの作曲家スクリャービンを研究。校訂楽譜『スクリャービン全集』(春秋社)はモスクワのスクリャービン博物館に収蔵されている。