復帰前の沖縄、核兵器1300発貯蔵 誤射や核攻撃命令も


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若泉敬とキッシンジャーが沖縄返還について交渉した際のメモランダム(備忘録)。核持ち込みの事前協議で日本側は「イエス」と答えるという佐藤首相の見解に関する記述が最下段にある

 沖縄に新型の中距離弾道ミサイルが配備されれば、大量の核ミサイルが配備されて東西冷戦の最前線に置かれた、日本復帰前の時代と似た危険な状態に置かれる。復帰前、辺野古弾薬庫や嘉手納弾薬庫には、1300発もの核兵器が貯蔵されていた。1959年には、米軍那覇飛行場配備のミサイルが核弾頭を搭載したまま誤射を起こし、海に落下する事故が起きた。

 62年には、米ソが全面戦争の瀬戸際に至ったキューバ危機の際、米軍内でソ連極東地域などを標的とする沖縄のミサイル部隊に核攻撃命令が誤って出され、現場の発射指揮官の判断で発射が回避されるという出来事もあった。ミサイルは、核搭載の地対地巡航ミサイル「メースB」で、62年初めに米国施政下の沖縄に配備された。

 沖縄の核兵器は日本復帰の際に撤去したとされるが、客観的に証明されていない。沖縄返還交渉の過程で日本政府は米国に非核三原則を保証する書簡を求めたのに対し、その条件として「核の確認や沖縄の貯蔵施設への査察をしないこと」を提示し、日本政府はこれを受諾している。

 一方で当時の佐藤栄作首相はニクソン米大統領との間で有事の際には沖縄に核を持ち込めるという密約を結んだ。

 2010年に当時の民主党政権は核密約は失効したとの認識を示したが、米国防総省の歴史記録書は「米国は危機の際にそれら(核)を再持ち込みする権利を維持した」と明記。米国にとって核持ち込みは「権利」として生きている。

 日本国内でも国内への核持ち込みに肯定的な動きがある。

 17年、自民党の石破茂元幹事長はテレビ番組で、北朝鮮の核実験強行を踏まえ、日米同盟の抑止力向上のため、国内への核兵器配備の是非を議論すべきだとの考えを示した。安倍政権下で外務事務次官を務める秋葉剛男氏は駐米日本大使館の公使時代の09年、沖縄への核貯蔵施設建設に肯定的な姿勢を米国に示していた。今後、北朝鮮・中国脅威論を強調し、新型ミサイルの日本国内配備を肯定的に捉える意見が表面化する可能性もある。