無一文で上京、年商120億に「俺にもできるんじゃないか」国内外で5ブランド展開 松田周さん(SMbrand社長)〈上〉<ウチナー未来人(びと)>1 第1部 躍動する新時代


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 高校卒業後、“裸一貫”で上京して会社を創業し、8年で年商120億円にまで成長させた県出身の男性がいる。嘉手納町出身で五つのブランドを展開するSMbrand(エスエムブランド)の社長、松田周さん(32)だ。当初から目標があったわけではない。中部商業高校を卒業し19歳で上京。4畳半のアパートに住み、東京・新宿の歌舞伎町で働きお金をためた。23歳の時に知識も人脈もない中、会社を立ち上げアパレル業界に進出した。製品を作る工場をインターネットで調べ、片っ端から電話をする飛び込み営業から始めた。

創業8年で年商120億円まで会社を成長させたSMbrandの松田周社長=東京都目黒区の同社

プレミア感で勝負

 ファストファッション(低価格で大量生産する服)全盛の中、「買いたくても買えない」というプレミア感で勝負し、会社を急成長させた。あらゆることの判断基準は「いけてること」「自分が楽しめること」。女性アパレルブランドを立ち上げたのも「モデルなど、かわいい子たちと仲良くなれる」という“不純”な動機からだ。「20代で社長っていけてるでしょう。だから会社をつくった」。話しぶりに“社長くささ”はない。

 東京・表参道の一等地にそびえる商業ビル内の店にはラインストーンやビジュー(模造宝石の1種)をあしらったデニムやワンピースなどが並ぶ。「かわいくいたい」と願う若い女性たちの心をわしづかみにしているブランド「Rady(レディ)」は、松田さんが展開する一つだ。

 表参道のほか、大阪に2店持ち、この冬、香港にも進出した。地方で期間限定のショップを開けば入店まで2~3時間待ちは当たり前だ。無料通話アプリLINE(ライン)の公式アカウントの「友だち」は600万人を超える。

松田周さんが運営する「Rady」の店内(SMbrand提供)

高校受験に失敗

 幼いころからおしゃれは好きだった。小学校では野球部に所属したが、中学では「丸坊主が嫌」で野球部には入らなかった。髪を染め、派手な格好をしてコンビニの前でたむろした。高校受験は失敗した。「早く働いてお金を稼いで遊びたい」。土木関係の仕事に就いたが、「朝早く起きることから、全てがつらい」と、3カ月で挫折した。

 「学校に行けば、3年は働かなくていい」と考え、翌年、中部商業高校に入学した。はまったのはクラブだ。週2回のペースで通った。大音量の音楽、踊り、お酒、少し年上の大人たち。高校生の松田さんには全てがかっこよく見えた。

 同じころ、複数のファッション誌を読み東京にも憧れた。やりたいことは決まっていなかったが東京に行けば何とかなると思い、高校卒業後に上京した。

 「あんたばかだね。わざわざ苦労する道を選ぶのね」。母はこう言ったが、松田さんを止めなかった。「自分の人生なんだから、自分のことは自分で決めなさい」。幼いころから母に言われ続けた言葉だ。「人に迷惑を掛けない限り、好きなことをしてもいいんじゃないか」と松田さんが考える原点にもなっている。

 半年は苦しい生活だった。テレビもない4畳半の部屋。食べ物を買うお金もない。おしゃれ好きなのに、毎日同じ服を着た。沖縄を小ばかにされ悔しい思いもした。それでも東京での生活は刺激に満ち、苦労だとは感じなかった。若くして成功している人にも出会った。かっこいいと思うと同時に、「俺にもできるんじゃないか」という思いも芽生え始めた。

(玉城江梨子)

 

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