4歳から野球を始めた宮城大弥。志真志小時代は志真志ドラゴンズ、嘉数中時代は宜野湾ポニーズで活躍した。頭角を現すのは早かった。嘉数中3年には第3回WBSCU―15ベースボールワールドカップのメンバーに選出され、準優勝に貢献した。キューバとの決勝戦は3イニングを無失点に抑えて力投した。
興南高校進学後は1年生からレギュラー。県内大会では三振の山を築いた。2017年の第99回全国高校野球選手権の初戦、智弁和歌山戦では先発投手としてマウンドに立ったが逆転負け。宮城は4失点し、涙をのむ全国デビュー戦となった。18年の第100回大会1回戦・土浦日大戦では、八回無死満塁の危機を0点で抑えるなど1年間の成長を見せつけた。2回戦で木更津総合に敗れたが、けん制技術やフィールディングでも観客をうならせた。
同年9月、春の選抜大会につながる秋季九州大会は、筑陽学園(福岡)との準々決勝で延長十三回を力投。しかし、サヨナラ負けを喫し、選抜大会の出場はかなわなかった。
高校3年の夏は短かった。第101回高校野球選手権県大会は決勝で沖縄尚学と対戦。延長十三回、死力を尽くして229球を投げたが7―8と惜敗。最後の1失点は四球による押し出しだった。
インステップからのクロスファイヤーで最速149キロを投げる左腕。クリーンアップも任される打撃力。甲子園で活躍が期待された一人だった。そんな宮城に大リーグカブスのダルビッシュ有投手がツイッターで「俺あんなピッチャーになりたかったわぁ」とつぶやくと、大きな注目を集めた。さらに、9月のU18W杯の日本代表メンバー入りを果たした。5位と優勝は逃したが、全国の強豪選手と切磋琢磨(せっさたくま)し、メディアも注目した。
高校野球界では華々しい結果を残せた訳ではないが、全国的にも知名度は高い。9月の本紙取材では、大学進学ではなく「プロになりたい」と真剣なまなざしで宣言していた。そのプロ野球球団から指名を受けた。謙虚な努力家が家族や恩師、仲間の支えで思い描いてきたステージへ進む。
◆精神力磨かれた
興南の我喜屋優監督の話 宮城は努力を積んで着実な成長を遂げられる子。3年間で投球技術や体力も付いたが、それ以上に精神力が磨かれた。責任感を持ち周囲を引っ張ってくれるリーダーとしての素質も育まれた。勝連は素直な子なので急がずにやるべきことを課し、育てていけば立派に活躍できる。まじめで細かいことにも気が付きのみ込みも早い。3年間で大成した。
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みやぎ・ひろや 投手、左投げ左打ち、2001年8月25日生まれ、宜野湾市出身。172センチ、78キロ、志真志小―嘉数中―興南高