[日曜の風]敵か、同志か ロボットはなぜロボットなのか


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 何かにつけてロボットがもてはやされる世の中になっている。ロボットは、なぜロボットなのか。誰がロボットにロボットという名前をつけたのか。すっかり有名になったロボットさんたちだから、われわれもそのご由来を知っておいて然るべきだろう。

 ロボットの名づけ親は、チェコ人作家のカレル・チャペック先生(1890~1938)だ。彼が1920年に世に出した戯曲「ロボット」(来栖茜新訳・海山社。原題は”Rossum’s Universal Robots(R.U.R)”)が事始めである。ロボットはチャペック先生の造語で、チェコ語で賦役や奴隷労働を意味するrobotaに基づいている。

 その後に、ロシア系アメリカ人のSF世界の大御所様、アイザック・アシモフ先生(1920~1992)がこのネーミィングをお借りしてたくさんのロボット小説を書き始めた。そのことによって、ロボットさんたちの知名度が一段とアップした。ロボティックスすなわちロボット工学は、今日ではすっかり学術用語だと思われている。だが、これもアシモフ先生の造語なのである。

 二人の気鋭の文学者のおかげで、われわれはいまやロボットがなぜロボットなのかなどということを全く考えずにこの言葉を使うようになっている。だが、その語源が賦役や奴隷労働を意味する言葉にあったということは、改めて認識しておいていい。むしろ、知っておくべきだと考えた方がいいかもしれない。

 ロボットさんたちは、人間を強制労働や奴隷化から解放してくれるために出現した救世主なのだろうか。それとも、人間から存在価値を奪うために登場して来た疫病神なのだろうか。人間にとって、ロボットは敵なのか同志なのか。チャペック先生もアシモフ先生も、このテーマを、力を入れて追求した。大いなる先見の明だ。

 お二人とも、実は決定的な結論に達しているとはいえない。思えば、それはわれわれの仕事なのだろう。そして、結論は間違いなく「同志」の方でなければならない。それを決めるのはロボットさんたちではない。人間だ。「同志」の方の解答に到達できれば、われわれは、ロボットの名前の二人の生みの親にきっと褒めてもらえるだろう。

(浜矩子、同志社大大学院教授)