フェンス越しに言葉を教え合い、贈り物 50年前の沖縄でつむがれた少女の友情


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 約50年前に少女時代を沖縄で過ごし、当時交流のあった「ヒデコさん」を探すため来沖しているジェーン・クレーマーさん(63)=米テキサス州=が30日、「ヒデコさん」の家族と那覇市内で面会した。ヒデコさんは29日付の本紙を読んだ家族からの連絡で「池田秀子」さんと判明したが、秀子さんは約2年半前に67歳で病死していた。だが夫の安武さん(71)=浦添市、息子の武俊さん(36)らの申し出でクレーマーさんと家族が面会することになり、生前の秀子さんの写真などを手に思い出話をし、心温まる時間を過ごした。

「ヒデコさん」の家族と面会を果たした米テキサス州のジェーン・クレーマーさん(左から2人目)。面会したのは夫の安武さん(左端)、孫の謙ちゃん(中央)、息子の武俊さん(右から2人目)、息子の妻の菜々さん(右端)=30日、那覇市のホテルロイヤルオリオン

 クレーマーさんは1969~71年に米国民政府(USCAR)職員として沖縄に赴任していた父の仕事の関係で、米軍牧港住宅地区(現在の那覇新都心)に住んでいた。基地フェンスの道向かいに秀子さんの自宅があり、二人は日本語や英語を教え合ったり、フェンス越しに贈り物をし合うなどして交流したが、離沖を最後に連絡が取れないまま約50年が過ぎていた。

 クレーマーさんと別れた後の秀子さんは、沖縄キリスト教短期大で英語を学んだ後に外資系航空会社で勤務し、その後は着付師や美容師をしながら娘の麻衣子さん(38)、武俊さんを育てた。クレーマーさんはこうした話を感慨深げに家族から聞きながら、「彼女は知的だった。やっぱり活躍していたんだね」と喜んだ。

 30日の面会では、秀子さんが生前に趣味で作った粘土細工の飾りや手芸のティッシュカバーなどを安武さんがプレゼントすると、クレーマーさんは「ずっと大切にする」と喜んだ。安武さんは「秀子がもし生きていたら、再会をどんなに喜んだだろうか」としのんだ。家族とクレーマーさんは連絡先を交換し、今後も交流を続けるつもりだ。
 (島袋良太)