復興のために旗頭を揚げるべきか?自粛すべきか?「大切な人が亡くなったのと同じ」 首里城の地元住民、特別な思い


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首里城焼失を受け、旗頭を実施するか意見を交わす各自治会の会長や青年会長ら=1日夜、那覇市役所首里支所

 「感動してしまった」。龍潭の周りが首里城の焼失を悲しむ人々で埋め尽くされた10月31日。その光景を首里城復元プロジェクトのメンバーだった首里観光案内所代表の山城岩夫さん(66)はこう表現した。

 国頭村辺戸出身で造園デザイン家として東京で活動していた山城さん。1988年に首里城の復元プロジェクトから声を掛けられた。「復元の効果を地域に波及させたい」。役目を終えた後も首里城復元期成会事務局長などを務め、今は観光客に首里城の見どころや散策ルートを提案する。辺戸で首里に献上する若水をくむ儀式を再現した「お水取り行事」にも携わる。首里城に魅了された一人だ。

 火災を知ったのは31日午前4時ごろ、辺戸から帰る車中のラジオだった。急いで首里城に向かった。着いた時には無残な姿となっていたが、周りを見渡すと自分と同じように嘆き、悲しむ人々がいた。周辺から駆け付け、涙を流す人。炎に包まれる城をじっと見詰める人―。いとおしい家族を失ったようだった。

 「地元の人はこんなに思っていたのか」。ウチナーンチュのアイデンティティーのよりどころ、誇りとされる首里城。地元の“首里人(すいんちゅ)”にとってその思いはさらに特別なものなのだと山城さんが感じた瞬間だった。

 火災から一夜明けた1日午後8時半。那覇市役所首里支所には首里の各自治会の会長や青年の代表ら約30人が集まっていた。話し合いの中心は「旗頭」を揚げるか否かだった。

 3日の「琉球王朝祭り首里」では、首里の各自治会が支えてきた古式行列や旗頭の行事が予定されていた。首里城焼失を受けて、主催する首里振興会は中止を決めた。

 話し合いの中で「復興のためにやるべきだ」と自治会が結集して今こそ旗頭を揚げるべきという提案があった。「太鼓を鳴らすべきではない」と自粛すべきとの声も上がった。「どちらが正しいとは言えない」。まとまったのは双方の意見を尊重することだった。

 平良町自治会は3日の壺屋やちむん通り祭りで旗頭を揚げることを決めた。宮城修会長(59)は「首里の旗を揚げ、復興を支援したい」と目を潤ませた。

 一方、鳥堀町自治会子ども会の小橋川共樹会長(39)は「焼失した時にどうなのかという声がある」と語る。火災で亡くなった人はいないが「大切な人が亡くなったことと同じ」と悲しむ声も多い。

 首里城再建に向けてさまざまな人々が動き出す中、山城さんは早期再建を実現するには「県民が思いを絶やさず、持続させないといけない」と強調する。それぞれが持つ首里城への強い思いや愛が再建をけん引していく。

(仲村良太)