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正義の引き延ばし戦術を 髙村薫さん(作家、世界平和アピール七人委員会委員) 〈ゆくい語り・沖縄へのメッセージ〉23


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髙村薫さん(作家、世界平和アピール七人委員会委員)

 戦後の日本社会のゆがみと暗部を照らし出す、スケールの大きな社会派作品を著してきた作家の髙村薫さん(66)は、沖縄の基地問題にも関心を払い、発言を続けてきた。

 丹念に情報を集め、深い思考を重ねるその言葉は穏やかだが、鋭利な切れ味を宿す。民意が反映されないまま、辺野古新基地の建設工事が続く状況に、「深まる本土の無関心が、沖縄の不条理から目を遠ざけさせている」と見る。

 安倍政権に対しては「砂上の楼閣」と分析した。

 基地の過重負担を克服する方策を問うと、「沖縄社会が強固な意思で反対し、正義を帯びた引き延ばし戦術を駆使すれば、打開の道が見えてくる」と語った。

―日本、沖縄にとって平成の世はどんな時代だったのか。

 「戦後の高度経済成長から大きく転換し、成長から斜陽の時代に移った。私たちの価値観、政治意識が大きく変質した。本土では、戦後日本の価値観を形作っていた保守・革新の対立構図が冷戦構造崩壊によってなくなった。日本人の政治意識が薄れ、思考停止に陥る中、いわゆる安倍政権のような自民一強の政権が出てきた。同時代の沖縄ではまだ保守革新という対立構図が残っている。本土と沖縄で位相のずれが起きた」

 「保守政権と距離を置く沖縄に違和感を抱き、本土から沖縄を誹謗(ひぼう)、攻撃する言説を繰り出す人が出ている。アジアの中で国力が衰退する中、国の在り方、価値観、政治への思考が停止し、日本人全体に無関心が助長された。沖縄に対する差別というより、本土の無関心が沖縄の歴史、不条理から目を遠ざけさせている。無関心が元凶ではないか」

 ―沖縄には、国にとって不都合で見たくない現実が横たわっている。

 「日本人の思考停止は戦前、戦中からずっとあった。戦争を始め、行き着くところまで行った軍部も思考停止し、敗戦後も、昭和天皇の戦争責任が追及されず、国全体が思考停止に陥った。その中で米国の占領政策に異議を唱えず、唯々諾々と受け入れる空気ができた。米国の言いなりで国の在り方を自ら決めなくなった。徹頭徹尾、日本はまともな政治、外交、安全保障の哲学を持てず、戦後74年を過ごした。その帰結として今の沖縄の位置付けがある。日本人の身の丈が反映している」

 ―「身の丈」を具体的に聞きたい。

 「薩摩が沖縄を侵攻し、『琉球処分』もあった後、台湾を植民地化すると、台湾との関係整理を優先してしまい、沖縄諸島をどうするかという明確な国家意思、ビジョンを持たなかった。そして、さらに関東軍の満州侵攻など領土拡大に走り、泥沼の戦争に突入した。手は出すが、収拾させきれない。身の丈にあまったことを続け、みっともない国の姿になってしまった」

「沖縄ヘイト言説」 政治が乗っかり悪化

 

かわいがっている猫を抱く髙村薫さん。広い視野で日本社会の問題点をすくい上げる作品の土台には「大阪で暮らす一生活者であること」へのこだわりがあるという=大阪市内の自宅

 ―事実に基づかず、表現の自由に名を借りて誹謗中傷を繰り出す「沖縄ヘイト言説」をどうみているか。

 「戦前から、大衆の中に共同体の外にある弱者、異質な者への差別意識、攻撃性はあった。だが、共同体内にある公共の精神が自制を促す時には、多くの大衆は慎重に口をつぐんだ。教師、政治家、共同体の指導者が影響力を持ち、コンセンサスができて社会が一つにまとまり、総じて度を超えた攻撃は食い止められた。ところが、社会の不満、不安が噴き出す不幸な出来事が起きると、関東大震災後の朝鮮人虐殺のような事態が起きることがあった。1995年のウィンドウズの登場により、すべての人が匿名で発信者になれるツールを持った。とげとげしい負の感情が簡単に発信されるようになった。ネット社会の到来と世界を固めていた冷戦、保革の価値観などが崩れ、自制を欠いた論が吐き出し放題になり、沖縄、韓国、中国が標的になっている。それに政治が乗っかり、悪化させている。正しくありたいという理想、正義が価値を持たなくなりつつある。そこが一番大きい」

 ―民主主義の手を尽くす形で辺野古新基地に抗う沖縄の民意が国政に反映されない状況をどう見るか。

 「今の安倍政権だけじゃなく、民主党政権もそうだった。サンフランシスコ講和会議で、日本は独立を回復したはずだが、米国の言いなりになる状況が今でも続く。属国的な政治と引き換えに経済成長を進めた。そんな政治だから、民意が反映されないのはある意味で当たり前になってしまっている。闘って獲得した民主主義ではない。辺野古訴訟と同様に、原発停止を門前払いする裁判も同根だ。おかしな政治を取り戻すところから始めねばならない」

 ―辺野古新基地に反対するお年寄りらの意識の源流には沖縄戦が横たわっている。

 「住民を凄惨(せいさん)な形で犠牲に追いやった沖縄戦のひどさを子どものころから戦記で読みあさった。それでも沖縄県民は日本への復帰を望んだが、多くの国民は沖縄の歴史を学ぼうとせず、国家の意思として基地の過重負担が続く。本土に住む私自身、申し訳なさがものすごく強い」

「自己決定論」主張 長年の仕打ちへの回答

書棚の前に立つ髙村薫さん=10月18日、大阪市内

 ―沖縄のことは沖縄が決めると主張する「自己決定論」についての見解を聞きたい。

 「沖縄社会特有の主張と言えるかは微妙な面があるが、それがどこから出てきたかというと、長年の本土の沖縄に対する仕打ちから生じてきたと思う。戦後の日本と米国の仕打ちに対する、新しく生まれてきた沖縄社会の回答ではないか」

 ―安倍政権の評価を聞きたい。

 「国家主義、独善的な国づくりをしているという評価もあろうが、安倍政権に主体的な大きなビジョンはないのではないか。保守層の支持母体である日本会議などの表面的な聞こえがいい話をかいつまんで持ち帰り、その場その場で思いつきの政策を進めているにすぎない気がする。改憲、特定秘密保護法も大きなレールに沿っているわけではない。予算の4割を国債で賄う財政状況で戦争はできない。米国に押し付けられ、自国の安全保障には使い道が乏しい兵器を、湯水のように税金を使って買っている。安倍政権は砂上の楼閣だと思っている」

 ―沖縄は日本の民主主義が機能しているかを問うとげと言われる。2月の県民投票もあった。基地問題をどう展望するか。

 「辺野古新基地を使う在沖海兵隊は、アジアに前方展開させる戦略的価値は乏しい。日米は辺野古が唯一でないことも認識しているが、日本の負担により、米本土に移転させるよりはるかに安上がりだから沖縄に駐留し続けようとしている。基地問題が泥沼化しても、日米は進むも引くもできない状況が続く。その間に潮目が変わる。辺野古新基地はできない。徒労感はあるかもしれないが、沖縄社会が八方手を尽くして、強固な意思で反対し続け、正義を帯びた引き延ばし戦術を駆使すれば、打開の道が見えてくるだろう。主権者として2月の県民投票を推進した若者たちの動きに希望を見いだす。世代を超えて新基地ノーのうねりを巻き起こした。それは全国的に戦争をさせない動きにも広がるだろう」

 ―作家として意識していること、社会に問い掛けていることは何か。

 「そんな大きな志があるわけではない。自分の身一つで生きるには、上下左右に目を懲らして社会全体を見ておかねばという意識はある。電車に乗って移動して感じることがあり、スーパーの安売りにも行って『こんなに安くて大丈夫か』と考える。それが私の価値観、世界観につながっている。私という人間が物を書く。ただ、それだけだと思う」

聞き手 編集局長・松元剛

たかむら・かおる

 作家。1953年大阪市生まれ。国際基督教大学卒。商社勤務を経てミステリー小説でデビュー後、純文学に転向し、随筆、社会時評も手掛ける。『リヴィエラを撃て』(93年第46回日本推理作家協会賞)、『マークスの山』(93年第109回直木賞)、『照柿』(94年)、『レディ・ジョーカー』(98年毎日出版文化賞)、『新リア王』(2006年第4回親鸞賞)『土の記』(17年、毎日芸術賞、野間文芸賞、大佛次郎賞)。

取材を終えて 魅力の源泉に深い思索

松元剛(編集局長)

 髙村さんの作品は精緻な描写を通して、日本社会の病弊、闇が紡ぎ出される。警察・司法担当記者必読の書でもあり、私もむさぼり読んできた。ミステリーのジャンルから純文学に転向しても、人間の存在の深淵(しんえん)に迫り、日本人の精神の空洞をえぐる作風は一貫している。

 インタビューを通し、ファンをとりこにし続ける魅力の源泉に深い思索があると感じた。

 移動は電車が基本。一市民の感覚を大切にあらゆる事象に目を注ぐ。納得がいくまで裾野の広い情報を集めてようやく執筆に踏み切る姿勢は、民意が反映されない不条理が渦巻く基地の島に対しても同じだ。穏やかかつ丁寧な返答の中で、研ぎ澄まされた言葉が繰り出された。

 新聞や雑誌を丹念に読み込んで獲得する、沖縄戦や近現代史への造詣の深さにも舌を巻く。21日に催されるシンポジウム「沖縄からこの国を問う」での発言を心待ちにしている。

(琉球新報 2019年11月4日掲載)